伊藤守『テレビは原発事故をどう伝えたのか』

伊藤守『テレビは原発事故をどう伝えたのか


2011年の福島原発事故はメディアにとつても大きな分水嶺になった。伊藤氏は3月11日から3月31日に期間のNHK民法キー局4局の原発報道800時間の映像を見てドキュメントとして検証している。労作である。この本が明らかにしたことは、テレビが政府・東電の「大本営発表」に沿って報道していた実証である。3月11日原発で冷却機能喪失の炉心溶解の事態を「楽観論」で報道し、解説した原子力工学の専門家も電源車で回復可能を語った。さらにそれも可能性の一つに過ぎないとする「可能性言説」にして、曖昧化した。14日以降も放射線物質の飛散は微量であり、人体の健康に影響はないという「安全・安心」言説であつた。水素爆発の危険性も軽視した報道姿勢を伊藤氏はNHK,日本テレビ、フジテレビ、テレ朝で検証していく。パニックを国民に起させないという愚民観が「現実」を歪めていく。
12日に半径20キロ避難指示でテレビメディアは記者を避難させながら、直ちに人体に影響ないという政府見解を放映する矛盾した対応をしている。「健康に害を及ぼす放射線量ではない」という安全言説は、低線量被爆や内部被爆については、どの局もほとんどこの期間報道していない。さらに政府・東電発表ばかり報道し大熊町双葉町浪江町の避難状況、除染状況がなおざりにされた。テレビ報道に不信を抱いた市民たちは、ネット情報に移行したのも、原発事故からだった。「外部の視点」によるジャーナリズムの存在感が高まった。伊藤氏はIWJによる3月12日の原子力資料情報室の記者会見報道が、的確に炉心溶解や2号機の燃料棒プールの問題を予測していたという。さらに「福島県内の学校施設除染問題」(子供の20ミリシーベルトは安全か問題)もネット情報から伝えられたとしている。
伊藤氏は情報を共有し、集合知で市民がテレビメディアを相対化する「熟慮民主主義」が、福島原発事故報道から明確になりつつあるとみている。テレビ取材力の決定的欠如、科学コミュニケーションの失敗(産官学とテレビの人的関係)とともに、福島原発事故はメディアにも転機になる歴史的事件だった。(平凡社新書