シュネデール『グレン・グールド孤独のアリア』

シュネデール『グレン・グールド 孤独のアリア』
グレン・グールド、ジョナサン・コット『グレン・グールドは語る』

 
今年はカナダのピアニスト、グレン・グーグルドの没後30年に当たる。私はグールドのバッハやブラームスの演奏を聴くと、突飛な連想だが歌人西行の和歌を思い浮かべてしまう。『心なき身にもあわれは知られけり鴫立つ沢の秋のゆうぐれ』『ほのぼのとあふみの海を漕ぐ舟の跡なきかたにゆく心かな』隠遁と消滅の思想。フーガのような遁走と逃亡の感性。前半生と後半生の隔絶。(西行は武士から遊行僧へ、グールドはライブ・コンサートの演奏家から孤独のレコード録音への隠遁)不在と無の瞑想。透明な北国への思慕(西行陸奥への旅とグールドの北の理念)などなにか共通性を感じる。
 シュネデールルのグールドを扱った本『孤独のアリア』は。20世紀の芸術家の生き方を書いた芸術家論であり、音楽の哲学論であり、グールドの演奏論であり、その魂の真実に迫ろうとする名著だと思う。
 20世紀クラシック音楽は全盛を迎え演奏コンサートは劇場化・イベント化していく中でグールドの瞑想的超越論は孤独の引きこもりになっていくのは頷ける。それが距離を無化するテクノロジー(レコード録音、編集、ラジオの重視など)に逃避していくのが面白い。グールドの音楽は「下方への愛」であり、弾く腰の低さ、大地と結ばれ大地を聴こうとする「音楽はもう一つの別の状態の沈黙」だとシュネデールはいう。グールドの演奏の音は神秘的な乾いたはっきりとした区切りがあるが、それなのに奇跡的つながりをもつ線が生み出される。グールドのつながりをもたらすものは指でなく思考、不在、分離だとも書いている。音楽を魂の「道」として探究しようとする。春より秋が好き、事物が忘却に立ち戻り、しだいに熱が失われ色あせてゆくことに満足していくグールド。西行的だ。
 グールドにとって「フーガ」という技法は、世界から逃走し、時間の分割を受けずにいる最上の手段であり、フーガの対立はたえず変化し、逃走する開放的で柔軟なメロディの断片、つまり相互的な関係のなかにしか存在しない逃がれゆくものだとシュネデールは指摘している。コットの長時間電話インダヴューも面白い。(『孤独なアリア』千葉文夫訳、『グレン・グールドは語る』宮澤淳一訳。どちらもちくま学芸文庫