苅部直『政治学』

苅部直『ヒューマニティーズ・政治学


 苅部氏の「政治」の定義は、異なる考えを持つ主体(個人、企業、NPO、政党など)同士が、お互いに異なることを見極めた上で、それでも共に生きようとして交渉と妥協を繰り返し一歩一歩実現していく地味な活動だという。市民がいかにこの「政治的思考法」を見につけるかを、苅部氏は身近な日常生活の「小政治」から学習し、地方自治から国家までの「大政治」まで普遍していこうとする。
 私はこの本で面白しろかったのは、戦後日本の丸山真男福田恒存との論争を踏まえた「政治的リアリズムとは何か」であった。苅部氏は異なる価値観が共存していくための政治的妥協・説得のためには「演技」が必要と考える。自らの政治における主張や議論には、社会のより広い人々に信頼され受け入れられる「政治的演技」が大事という。アリストテレスがいう「弁証術・修辞学」を指しているのだろうかと私は思う。さらに苅部氏は「偽善」こそ「演技の世界」としての政治を支えるとも述べる。最初読んだ時、逆説か諷刺かと思ったが、苅部氏は丸山/福田論争や渡辺一夫から柳田国男の「偽善の勧め」や「ウソの効用」などを引き、真面目に政治的リアリズムの世界を描いていく。自分の主張を持ちながら他者の主張にすり合わせていく妥協は、どこか「偽善」を含む。またなんらかの自己の政治的理想を実現しょうとすれば、個別の状況で原則を修正するためには偽善も必要となる。自分だけが絶対善・正義と考えず、自己の中に悪があると考え責任をとりながら政治過程を勧めるのが「政治的リアリズム」と見ている。
 だが苅部氏は政治のワイドショー化は、こうした演技の技術の発揮を鑑賞し判断していくというより、政治家の突飛な発言や改革のポーズを瞬間的に注目を集めるだけだという。そうでなく政治家や官僚や市民運動家の主張に落ち着いて耳を傾け、内容と演技の功劣を見分けていくことを勧めている。ポピュリズムの時代にこの本はぜひ読みたい。市民社会の民主主義時代のマキアヴェリ君主論」としても読める。(岩波書店