黙阿弥『三人吉三』

黙阿弥歌舞伎を読む(その②)
三人吉三廓初買』

 この戯曲は死傷者7千人を出した安政地震の震災後の戯曲である。震災後の江戸の宿命論、秩序の崩壊、安政大獄の政治不安、死と破壊、悪の跋扈を背景にしている。地獄のなかで、はかなく「情」を主軸に生き抜こうとする人々のドラマがこの歌舞伎作品には色濃い。輪廻の如く循環する「円」のようなぐるぐる廻る因果の理と、「三角形」の図形の人間の絆(連帯)と葛藤がその円のなかにおさまっている。循環する「円」の流動性を象徴するのが百両という金銭である。お家の宝刀剣「庚申丸」の代金百両が、木屋文理の手代十三郎から海老名軍蔵、夜鷹おとせ、お嬢吉三と廻り、さらに和尚吉三から父土座衛門伝吉、久兵衛そして最初の文理に戻ることで円環が閉じる。この百両の金の流れが自殺未遂、強盗、兄妹近親相姦、殺人という地獄絵図を誘発する。そこには親の因果が子に報いという因果が明かされていく。
この戯曲のもう一つの構図「三角形」は「情」の連帯と葛藤を象徴する。和尚―お坊―お嬢の盗みための義兄弟(友情)の三角形。その連帯は最後に三人で刺し違えて死ぬまで貫徹される。もう一つは木屋文理―妻しづー吉原遊女一重の三角関係であり、文理はその廓通いで零落、妻しづは一重の文理との間に設けた赤子を引き取り育て、一重は産後のひだちが悪く死ぬ。そこには女同士の連帯がある。この三角形は和尚吉三がみる地獄の夢にも閻魔―地蔵―紫式部の三角関係までパロディ化されている。
円と三角形の構図で描かれる「罪と罰」がこのドラマの主題である。そこには善と悪の循環があり、善のなかに悪があり、悪のなかに善があるとい「入れ子」構造になっている。罰は地獄落ちでなく「救い」もない。罰は因果の理によってみずから罰せられていく。罪はこの世の因果で自滅していく。神という超越による救いはない。因果の法則は自然の法則でもあり、そこに宿命論がある。大地震という自然の理の翻弄される人間の儚さ・無力さが黙阿弥のドラマの根底にはある。(新潮社、新潮日本古典集成、今尾哲也校注)