松浦玲『坂本龍馬』

松浦玲『坂本龍馬


 松浦氏は,坂本龍馬書簡や勝海舟日記、海援隊日史など多数の史料を使い、龍馬の一生を綿密に検証していく。龍馬伝であると共に幕末・維新史が見えてくる。私が松浦氏の本を読んでどう龍馬を捉えたかを記してみよう。
藤田省三は『維新の精神』で、「志」をもった「志士」の身分や藩から自由な横の結合による「横断的連合」を幕末・維新の精神として挙げている。龍馬こそそうした「境界人」(マージナルマン)であり、仲介をおこなうメディア的人間だった。松浦氏の本を読んでも龍馬が幕府や長州、薩摩、土佐など意見の相違を超えて仲介・伝達の役割を多くしているのに驚く。書簡の「配達人」であり、幕臣大久保一翁から福井藩主・松平春獄を手始めに、勝海舟からの書簡、薩摩の大久保利通から長州・桂小五郎への書簡など配達している。こうした上に薩長同盟の密約の仲介が成り立つ。また徳川幕府にも勝海舟大久保一翁など太いラインをもち、体制を超えて連結している。大政奉還江戸城明け渡しなどの土壌がそこにはある。
②「交通的人間」である龍馬が、海運・海軍など商業的・物流的交通に傾斜していくのは当然だろう。商人的といっても株式会社ではなく効率的だが同志的組織を作り出したのが特徴だ。海援隊はそうした組織であり、海軍と海運を兼ねていた。同志的結合といっても艦船を動かすのだから効率的組織であり、統率=操縦のため船長による運営が指導者として必要とされた。龍馬の国家構想は「船中八策」(松浦氏はこの龍馬の自筆もなく、土佐藩など様々な人々が参画して作られたのではないかよ見ている)に見られるが、私見では国家を艦船の操縦のように考えていたのではないか。
③龍馬は状況主義であり機能的だったから、立憲議会制による各勢力の連合制を考えていたと思われる。私が興味を持ったのは、松浦氏が、龍馬が生きていたら、後藤象二郎ら土佐勢が龍馬とともに討議していた「公儀」という議会制が強まり、徳川慶喜らも「朝敵」にならず連合政府が作られ、西郷隆盛らの「王政復古」クーデタは起きなかったと推測している。歴史に「IF」はないが、龍馬関係文書を見ても、龍馬は天皇制・公卿制に親近感はないし、王政復古を望む「尊皇」ではなく、天皇を統一の連合のために使う機能主義者だったと思う。明治に生きていたら海軍主義者だろうが、自由貿易主義か自由民権主義にもなっていたかもしれない。(岩波新書