喜志哲雄『喜劇の手法』

喜志哲雄『喜劇の手法 笑いのしくみを探る』


 喜劇を観客との関係性から考えようとしている。喜劇的効果のためには、観客が登場人物との間に距離を保ち、状況の完全な認識という現実にはあり得ない優越的位置で見ることが必要である。笑いは劇中人物が知らない情報を観客が知っているから、その差額から生じる。貴志氏が喜劇の手法で先ず取り上げるのは、アイデンティテイの混乱である。表層が実体であるという考えで、見かけと実体のズレが笑いを呼ぶ。シエイクスピアの「間違い喜劇」は性別を偽る男装や女装という「変装」から恋愛の笑いが生まれている。「一人二役」ではイタリアの劇作家ゴルドーニの作品が取り上げられ、「嘘」で喜劇が成立する作品としてワイルド「真面目が大事」が論じられる。「変身」もアイデンティテイの混乱のための手法であると貴志氏はいう。
「偶然の一致」からモリエールの喜劇「守銭奴」が分析される。登場人物が「間違える」取り違えの喜劇は、ゴーゴリ「検察官」やプリーストリー「夜の来訪者」で示される。私が面白かったのは、ソポクレス「オイディプス王」とクライスト「壊れ甕」を裁判官が犯人である喜劇と喜志氏が考えている点で、観客がそれを知っているのに舞台上では誰もしらないズレを「喜劇」としている。さらに喜志氏は「劇中劇」は、劇の約束事を茶化す喜劇の常套手段だとしながら、ジャン・ジュネ「女中たち」は劇の虚構性がさらに相対化され、俳優が演じている登場人物の真実がわからなくなることを論じている。現実と虚構というアイデンティテイの混乱が喜劇を作り上げるというのだ。とすれば喜劇は演劇の本質を対象化しているともいえる。(集英社新書