白川静・梅原猛『呪の思想』

白川静梅原猛『呪の思想』



 古代学で白川氏は中国、梅原氏は日本と新しい古代の歴史的学問(白川学と梅原学)を作り上げてきた。この二人の対談は日中の文化の共通性と差異性を浮かび上がらせて面白い。中国文明の核心は漢字と儒教である。白川氏は漢字の成立を、人が神と心を通わせて神の力を得る「呪」的コミュニケーションとして捉える。漢字は神聖文字であった。中国の神聖王朝は異民族支配のために絶対的権威として神との交通が必要で、その手段が漢字だったという対話からこの本は始まる。「道」という漢字は異族の首を持って歩くことで異教神を祓う悪魔祓いから成り立つと二人は語り合い始める。そこから「殷」王朝が神聖王朝であり、呪の思想が語られ、青銅器を地に埋める呪鎮だったという。「殷」は南方系沿岸民族で文身をしており、子安貝を貨幣に使い、その呪霊文化は日本の縄文に似るという。殷を征服した「周」では呪的儀礼はせず、祀るのは祖先霊と国が定めた山川の霊だけで、合理的文明だったと白川氏はいう。梅原氏はそれは日本では弥生文化で、日本古代学は弥生にあわせ合理的学問すぎるという。
二人の儒教の祖・孔子論は面白かった。和辻哲郎孔子を「理性の思想家」と見るのに対し、白川氏は、孔子は巫女の私生児で髷結わずザンバラ髪で、葬送の仕事をし雨乞いもする呪師という存在を強調する。孔子が葬送の徒で、墨子が技術職能集団で二人は一致する。「儒」という字は「雨を求める人」から作られていると白川氏はいう。農耕社会では洪水神(龍など)存在とともに重要な指摘だと思う。
最後の「詩経」の解釈も面白い。楽師集団が歌い舞いながら創り出した歌曲だと見る。「詩経」の発想や表現法についての白川氏の解釈は様々な示唆を与えてくれる。楽師集団が祭りや宴会で歌い、知識人が道徳的、政治的思想を形成していく。詩篇のなかで道徳や政治批判や思想が成熟していく。日本の古代歌謡には思想を形成する基盤がなかった。引きこもり的な歌。梅原氏は「万葉集」には政治詩、社会詩はほとんど無く、人麻呂は水刑になり、家持は藤原権力に批判を持つが挫折し、自然の世界に慰めを求め、四季の歌を沢山つくる。古代中国との差異を白川氏が「政治的なものの欠如」と語っているのが印象的だった。(平凡社ライブラリー