中野美代子『乾隆帝』

中野美代子乾隆帝


 中国史を読んでいて思うのは、なぜ中国がヨーロッパ史のように複数の国に分割しなかったかという問題に突きあたる。ロ−マ帝国にゲルマン諸族が侵略する民族移動で現在の複数の国々が成立した。中国も何回もモンゴルなど遊牧諸民族が侵入し、五胡16国、元、清と征服王朝が出来たが、「ヨーロッパ化」しなかった。一つの回答として、古代に成立した中国文明キリスト教のような役割をして漢民族における統一力の強さの基盤になり、遊牧異民族の「中国化」を推し進めたとも考えられる。 
中野氏は清帝国乾隆帝中国文明のなかでいかに文化的に闘おうとし、その「とりこ」になっていくかを、詩文、建築、庭園造りなどをもとに図像学的に解こうとしている。乾隆帝は中国語と満州語バイリンガルであり、公用語満州語だった。だが5万首におよぶ長大な漢詩をつくり、絵画に自著の署名と解釈を書き加え、書道にも熱心であり、四庫全書を収集し、中国古典の崇拝者であった。その帝国は新疆ウイグルチベットに及び、西欧イエスズ会も取り込み、乾隆帝は多重人格的文化者になり、そのアイデンティイは流動化していたのではないか。中野氏は乾隆帝肖像画を多様な仮装でえがかせており、漢人の仮装はもとより、イスラム風、西洋風まである「仮装する皇帝」を指摘している。その西欧にたいするオクシデンタリズムは、イタリア人画家カスティリオーネ(廊世寧)による絵画、造園から中野氏によって分析されている。
この本が面白いのは、乾隆帝の熱河避暑山荘や円明園などの多い造園を「楽園」として描き、その図像学的解釈で乾隆帝の帝国的欲望を分析している点である。円明園西洋楼や熱河離宮チベット・ボゴラ宮の模倣など、「夷荻」をいかに封じ込めるかのトポス的解釈は面白い。乾隆帝は表向き西欧遠近法を禁じていたが、自分だけの部屋にはカスティリオーネに「だまし絵」など遠近法の絵を描かしたという。そういう心性が日本帝国主義の「満州国」建設にラストエンペラー溥儀帝が消失点として乗ってしまったのではないか。いま中国では改革解放のもと乾隆帝だけは人気がある。皮肉なものである。(文春新書)