アラン『幸福論』

幸福論を読む(その①)
アラン『幸福論』


 「幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ」とアランはいう。「微笑」という章では、気分にたいして戦うのは判断力でなく、姿勢を変えて適当な運動をし、微笑をし、首をすくめ筋肉を統御することが、心配事の対策だという。幸福は行動からやってくる。不幸とは物事を悪く考える想像力から生じる。微笑と上機嫌療法の幸福論がアランの目指したものだ。
 「生きた肉体のほうがずっと高尚で、観念によって苦しみ、行動によって癒える」というのがアランの生活知である。アランはデカルトの情念論をもとに、身体の精神との関連性を重視し、「情念」や「想像力」にとらわれ、心身が硬直するのを流動化し、ときほぐす身体的運動=行動を大切だと考えた。アランが「体操」や「しぐさ」さらに「微笑」を重んじたのは、私にはヨガや太極拳などの思想に通ずるものがあると思った。身体を動かし精神や気分を変化させ、「意志」の力で体操のように全身を統御し、気分にながされないようにするのだ。礼儀・礼節もダンスのような身体運動として捉えられている。
 アランは情念(喜び、悲しみ、欲望、憎悪、嫉妬、不安、絶望など)をやぶだらけの荒野とみなしている。情念は心に悪い影響を及ぼす「想像力」を生み出す。「想像力は昔の中国の死刑執行人よりも酷い。それは恐怖を調合し、われわれにさまざまな恐怖を味合わせる実際の惨事は二度と同じところをおそうことはない」最大な不幸は物事を悪く考えることであり、それが恐怖と不安を増幅させる。
 「悲観主義は感情で、楽観主義は意志のちからによる」ともアランはいう。あらゆる幸福は意志と抑制にあり、己を知ることにあるという思想は、ソクラテス的である。
 不平や不満、無作法や不機嫌さらに狂信をアランは臆病者の現象としてとらえている。恐怖は優柔不断の感情であり、筋肉上の優柔不断で、行動を促されているのに自分にはそれが出来ないと思う。人が恐怖におののくのは、あまりにも精神的だからだ。無作法の人はほんの些細な動作にも力みすぎる。こわばった情念と、自己恐怖つまり臆病さがか感じられ、情念は病気より早く伝染するから不幸は伝染病なのだ。アランは身体的行動主義で笑いと上機嫌を取り戻そうとするのだ。
 「悪い天気のときには、いい顔をすること」「いやなことを我慢するのではなく、進んで行う、これが心地よさの基礎である」アランの幸福論には自然欲望主義、快楽遊び主義の幸福論の対極がある。なお合田正人「アラン 幸福論」(NHK出版)は小冊子だがアランをしるために読むと面白い。(白水社串田孫一中村雄二郎訳、辻邦生解説)