山口裕之『ひとは生命をどのように理解してきたか』

山口裕之『ひとは生命をどのように理解してきたか』 

 21世紀に入って生命科学は人間の遺伝子配列のゲノムを全部読み取り、さらにほかの生物もゲノムの膨大な量の情報が読み取られ、蓄積されてきている。生命は物理・化学によって理解できるという生命論に対して、山口氏は生物学という科学の成立に遡り、果たして生命科学の見方で生命が理解できるかを問うている。
現代生物学の基本概念は遺伝子と進化論である。生物の特徴は「自己複製」や「自己組織化」とされ、DNAの複製のメカニズムや、細胞の形態形成を化学力学的な反応で理解しようとしてきた。生命は「自己増殖する情報機械」という見方も強い。そこから最近は医療に役立つ遺伝子情報という視点も製薬企業などで盛んになっている。山口氏は生物学成立から分子生物学の登場まで物質と生命の相違など生気論を含め詳細に辿り、遺伝子概念の登場と分子生物学や進化論における遺伝子の思想を分析していて、科学史としても面白い。
 特に「機械としての生命」の章はマトゥラーナやヴァレラの「オートポイエーシス」(自己創出・自己創造システム)として生命を考えようとする生命論を、より深く発展させようとしていて興味深かった。山口氏は生命を「自分自身の目的のもとに行動する主体」というみずから輪郭を形成していく「ひとまとまりのシステム」として、主体性(自己)を重視した生命論である。
生物は外的刺激に反応し機械的に運動するのではなく、関心や目的を持って外的状況を評価しそれに対処するために行動するもので、科学や技術という営みも行動による理解を洗練し特殊化したとも考えている。山口氏の考えは生命を目的論で考えたアリストテレスの生物論を分子生物学時代により高度化して再現したかのようにも見える。山口氏の主体的生命論は、いま盛んな物理化学による外在的な生命理解への批判として重要だと私は思う。だが、現代的に洗練された「生気論」の再来かとも疑ってしまう。(講談社