ロルカ『血の婚礼』

ガルシーア・ロルカ『三大悲劇集 血の婚礼 他二編』

 悲劇的精神とは、人間が理性や正義を超えた自然的必然性(人間の情念的自然性)によって破壊されていくことにある。それはその自然的大地から沸いてくるエネルギーにより翻弄されていく人間のドラマである。ロルカの三大悲劇はスペイン・アンダルーシアにおける村落共同体の大地のなかの日常生活のなかで起こる悲劇であり、理性や功利を超えた情念が因習的社会・家族から「死」によって解放されていく浄化の劇でもある。一見すると「死」による破滅に見えるが、死も日常生活に瀰漫しており、そこには破滅感覚はななく解放感が感じられる。。ロルカの劇は詩的であり、自然現象や動植物が擬人化されて、登場人物として出てくる。訳者の牛島信明氏は「詩的アニミズム」と言っている。「血の婚礼」では花嫁を巡り二人の若者がナイフで刺しあって死ぬが、その直前に「月」が不吉な運命・死の象徴として登場し「だが今宵こそわたしの頬は 赤き血潮をあびるだろう 大地を渡る風の足もとで 群がり生える葦たちも」という長いセリフを述べる。
 私が三大悲劇をよんで思ったのはロルカによる女性の描き方の素晴らしさである。「血の婚礼」の花嫁、その母親、女中、花嫁と駆け落ちする男の妻、姑、村の女、乞食の老婆まで見事に生き生きしている。「イェルマ」では、不妊で悩み無理解な夫を絞殺するイェルマや、不妊治療の妖術師や、村の洗濯女たちの合唱(噂話など)などロルカは女性心情に乗り移っている。「ベルナルダ・アルバの家」では60歳のベルナルダという独裁的未亡人と5人の娘、80歳の祖母という女系家族のなかの悲劇だが、この劇作ほどロルカの女性情念をみる目は冴えている。ロルカがホモだったことも関係しているのかもしれない。「死」の日常性は、ロルカ自身20世紀30年代のスペイン市民戦争でフランコ独裁(ベルナルダのような)政権側に捕らえられ銃殺され、38歳で死んでいったことの予言性を現した演劇だったのかとも思う。(岩波文庫牛島信明訳)