大岡信『詩への架橋』

大岡信『詩への架橋』


      詩人・評論家大岡氏の「詩と真実」(ゲーテ)であり「若き芸術家の肖像」(ジョイス)である。戦後すぐ中学生時代の同人誌「鬼の詞」から大学時代の同人誌「現代文学」まで読んだ詩や詩集から詩を読む体験の意味と自らが詩人になっていく精神史が描かれている。戦後詩の背景が見えてくる。
      其れと共に大岡氏の「詩」と「批評」の二筋道が緊張関係で形成されてくる過程がわかる。「折々の歌」の作者だけに、多様な詩人たちを読む若き詩人大岡氏の詩の読解は、見事だ。
      愛と旅と死の歌では若山牧水釈迢空、窪田空穂を取り上げているが、窪田が幼子を残して死んでいく妻を歌った挽歌を、大岡氏が強靭な知性が自己省察の透徹したしなやかな弾力で歌った近代を体得した歌人と、評価している点は同感した。
      詩を書き始めた頃読んだ佐藤春夫萩原朔太郎ボードレール、さらに中原中也「無題」は、自分を捨てた年上の女への失恋の重荷を取り除き抽象的人生観に移行していく過程の詩だと論じている。
      西欧詩へ入門していく青春時代に大岡氏の世代がリルケや「月下の一群」のグールモン、ブルドン、エリュアール、ランボーに傾倒していったかが描かれていて、小林秀雄や、福永武彦堀辰雄の訳詩、評論の影響も面白い。
      私が読んでいて面白かったのは、大岡氏が愛誦した詩で、朔太郎「月に吼える」の「殺人事件」「くさった蛤」などを挙げ、内臓感覚から生命の核心に迫っていくと述べ、また室生犀星のユーモア、三好達治中野重治「あかるい娘ら」を挙げていることだ。
      高校時代に「万葉集」「新古今集」に魅かれ、主観と客観をかさねあわせつつ融合する象徴的表現方法を、藤原定家式子内親王から学ぶのも興味深い。戦後の現代詩人がどう詩を読み、詩人として自己形成していったかがわかる本である。(岩波新書