堀田善衛『方丈記私記』『故園風来抄』

堀田善衛方丈記私記』
堀田善衛『故園風来抄』

 堀田は『方丈記』を古典鑑賞でも解釈でもなく「経験」から読んだという。安元3年若き鴨長明が見た京都大火を、堀田は1945年3月10日の東京大空襲の経験から読んでいる。何も無い焼け跡の平べったい場面と768年後の昭和20年の状況がかさねて読まれている。いまだったら大震災後のツナミの瓦礫だけの風景で読める。古典を経験からの「読み」をこの本で学ぶ。「方丈記」の前半は安元の大火、治承の大風と福原遷都、養和の飢饉、元暦の大地震、疫病など詳しく長明は描写している。同時に政治の混迷、内乱など二重の災害危機の苦しみを描く。それを鴨長明は貴族と民衆(下層は乞食)の二重性の視点で見る。堀田によれば、「方丈記」は通説の無常観文学ではなく、現場主義のドキュメンタリーの冷徹な眼がある。反無常観。被災の民衆の眼があり、貴族の藤原兼実「玉葉記」や藤原定家「明月記」は傍観者的、上から目線があるのと比較している。天皇制や有職故実の貴族社会批判が見られるという。
『故園風来抄』を読むと、堀田は「徒然草」の兼好法師鴨長明は正反対の人で、兼好が万遍無い人であるのに対し、長明は根源志向の「ラヂカリスト」としている。「方丈記」は隠遁文学ではなく、僧となり隠遁することによりメタ批判の立場に立ってトゲのある批判を、貴族社会、僧侶社会、和歌など芸術集団に浴びせかけたという。鴨長明が歌所寄人として定家や後鳥羽院などと歌を競いながら、その新古今の幽玄体を批判し、閉鎖的芸術至上主義、戦乱、災害、飢饉など現実無視だとする堀田の批判は、太平洋戦争をおこした天皇、軍部、上流階級、芸術家と写しになっていると思えた。
堀田はこの時代を考えると二つの極に立つ人が見えるという。一人は長明、もう一人は衆生済度の親鸞である。堀田の親鸞論は書かれなかったが。西行慈円は『故園風来抄』に書かれている。自己の時代の経験から日本古典を読む方法を堀田は教えてくれる。(『方丈記私記』ちくま文庫、『故園風来抄』集英社