ゴーゴリ・魯迅・色川武大『狂人日記』

ゴーゴリ狂人日記
魯迅狂人日記
色川武大狂人日記

 三冊の小説『狂人日記』を読んだ。ゴーゴリ魯迅は強迫妄想が強く、色川は幻覚・幻聴が狂気とともに現れる。ゴーゴリ魯迅は社会風刺のための狂人だが、色川は家族や恋人など対人関係の葛藤でより精神分析的な小説といってよい。ゴーゴリ魯迅は社会のほうが狂気をはらんでおり、狂人のほうが正気の批判力を持つているかのように見える。ゴーゴリの9等官で中年独身の下級官僚は上流社会の長官の家庭に出入りし、その令嬢に恋心を抱く。だが、階層的軽蔑を受け、また長官や令嬢の虚栄心や俗物的精神が見えてくる。令嬢が侍従武官と婚約すると、その下級官僚は孤独の中、妄想と幻覚でスペイン国王になり、行動にでて精神病院に収容されることになる。その妄想化していく日記の饒舌が凄い。
魯迅では中国封建制の農村が舞台であり、その共同体で仁義道徳といいながら、人が人を喰う食人の妄想を抱いた青年が狂気を綴った日記からなり、自分も食べられるという妄想に苦しめられ、部屋に内閉されてしまう。四千年来、絶えず人間を食ってきた場所、兄貴が家を仕切ってきたとき死んだ妹を、料理に混ぜておれたちに食わせたかもしれないという妄想、そこには中国の儒教による家族、宗族、村落、国家共同体の支配・抑圧が食人妄想で象徴されている。
色川の小説で、精神病院の本棚で主人公の狂人が魯迅の小説を読む場面が描かれている。他者を求めながら絆をつくれず、自分個人の宿命に閉ざされて、幻聴・幻覚に悩まされる男の狂気を描いている。色川の小説の凄さは、その夢や幻覚・幻聴をリアルに即物的に描ききっているところだ。父、母、弟、妻、愛人に関する悪夢は切迫感をもって迫ってくる。人と人は本当に繋がりをもてるのかが色川の小説では問われている。家族とはなにか、男女の対幻想とは何かが、狂気の幻覚のなかでうごめきながら、明るみに出てこようとして悶えている。(ゴーゴリ狂人日記岩波文庫、横田瑞穂訳、『魯迅文集1』ちくま文庫竹内好訳、色川武大狂人日記講談社文芸文庫