片山智行『魯迅「野草」全釈』 

魯迅『野草』
片山智行『魯迅「野草」全釈』

 『野草』を読んだ時私は漱石夢十夜』を連想した。どちらも潜在意識が夢という象徴によって表現されている。魯迅の場合は夢九夜だが。漱石の場合は世紀末的不安や幻想性が強い。西欧近代が既に内面に入り込んでいる。だが魯迅は封建的中国からの革命期の内戦と植民地からの脱却の時代だから、その夢も社会的幻想と虚無と絶望のなかで、未来のための自己犠牲的反抗者の苦悩が色濃く滲み出して夢を彩る。
「影の告別」は寝ている人間のところにその「影」がやって来て告別を述べる夢である。片山智行氏の「野草全釈」によれば、日常生活者と潜在意識(影)の分裂を、虚無のなかを彷徨いながら描き、未来の黄金世界でさえ自分の気に入らないものがそこにあるなら行きたくないと影はいう。黄金世界でも多くの反抗者が獄に入れられ、多くの無自覚で傍観者の奴隷根性の「阿Q」が存在すればそれも虚妄だと述べる。それが社会主義世界だとしてもである。「絶望が虚妄であるのは、まさに希望と同じだ」と魯迅はいう。「野草」には寂寞感が強い。
「美しい物語」では小船に乗り川の両岸のトウハゼ、早苗、野の花、鶏、犬、叢林と枯れ木、かやぶきの家、塔、伽藍、農夫と村の婦、村娘、などが青く澄んだ小川に影を逆さに映している。だが其れは浪がにわかに起こり砕ける。長い暗夜に訪れた夢も終わるが美しい夢は忘れないという。片山氏は虚無、寂寞、頽唐をなんとか乗り越えようとする魯迅の精神の営みがあるという。
難解といわれる散文詩「野草」を片山氏の本は、魯迅が置かれた社会状況から精神状況を基に、丁寧に解釈していく名著である。片山氏は「野草」をこういう。「一見消極的に見える影(虚無と絶望)の存在こそが、逆に光(希望)のより強烈な輝きの準備をする、というのが『野草』の特徴」であると。(『野草』魯迅文集2竹内好訳、ちくま文庫、『魯迅「野草」全釈』平凡社東洋文庫