池田純一『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』

池田純一『ウェブ×ソーシャル×アメリカ』

 ウェブ社会の現在,アップルやグーグル、フェイスブックツイッターは何故アメリカで生まれたのかをアメリカ社会史や思想史から解き明かそうとした野心作である。先ごろ死去したアップルのスティーブ・ジョブズは60年代のカウンター・カルチャーの影響を受けたと述べていた。グーグルのエリック・シュミットもDIYを生み出したハッカーカルチャーの真ん中に居た人だ。池田氏はその基盤は「全地球カタログ」を創り出したスチャート・ブランドの全地球コンピュータ文化に求めている。その基は宇宙から見た地球観であり宇宙開発であり、そこからシリコンバレーが発祥すると指摘している。ジョブズはブラントに魅了された。ここにウェブ文化、ネットワーカーの萌芽があるとする。ブラントからマクルーハン、フラー、ベイトソンに繋がる指摘も面白い。
 アップル対グーグルが「電子の市場」として競争しているうちに、2004年から人間の繋がり、社交という「電子の広場」としてフェイスブックツイッターが登場し関係性を重視するような発展が生じた。これがオープン性・匿名性よりも、閉じられたクラブ的な実名・承認制のフェイスブックになり、それがいまやウェッブの断片化を進め、ウェブの死に到るのかと注目されるようになった。
 池田氏ソーシャル・ネットワークの始祖ザッカーバークがハーバート大学の同窓会的社交関係からフェイスブックを始め、冷戦後にローマ帝国的な民族融和の拡大路線に転じ、全地球的になっていく過程を描いている。池田氏はウェブ社会の思想的源をエマソンの超越主義やトックビルのアソシエーション論さらにウィリアム・ジェイムスのプラグマチズムまで遡るが、もう少し深めた説明がここでは必要だと私は思った。
 面白いのは池田氏の比較論である。ブリン&ペイジのグーグルが人工知能志向で、機械化=アルゴリズムを徹底し人間の恣意性を排除し、客観公平な知識マップを作ろうとする。これに反しファイスブックはネットをあやつるのは人間であり、その関係交流によるコミュニティが目的とされる。またアップルのiPadなどはヒューマンタッチの人間が、自在な操作性で自由を感じさせることを重視する。ツイッターは匿名性による媒介=メディアによる流動性・遊戯性に賭けている。遊戯性、演劇性、ゲーム性はネットにいまや欠かせない。今後どのような革新が起こるのか。それともネットの死に到るのかを考えさせる本だ。アメリカ論としても面白い。(講談社現代新書