ブール『猿の惑星』

ピエール・ブール猿の惑星


 近日に映画「猿の惑星 創世記」が封切られるというので、原作を読んでみる。これはSF小説を装って居るが、スウイフトの「ガリヴァー旅行記」や、シラノ・ド・ベルジュラック「日月両世界旅行記」のような諷刺小説なのだ。異世界を旅行し、人間の終焉や人間中心主義の価値観の顚倒を見聞し、人間社会を諷刺する。ブールのこの小説は2050年初の恒星間飛行を成功させた人類が、宇宙で猿が支配する惑星に到着、生き残った一人の人間が経験する実態を描く。そこでは人間は万物の霊長類ではなく、野蛮・未開の猿に支配される動物にすぎなかった。
 地球人メルーが猿に捕獲され、その理性的知能で支配者の猿を驚愕させ宇宙から来たことを生物学者チンパンジーに認めさせ、協力者にさせていく過程は、ガリヴァーの小人国や巨人国での知性と機知での生存と似ている。だが面白いのは、この猿の惑星が一万年前には人間が支配していたのが、画一的で娯楽中心の怠惰な愚民化により、人間文明を「猿真似」した猿に支配権を奪われてしまうという設定である。進化がある極限に達するとその模倣者が出現し、取って代わる。それは猿か機械ロボットかわからないが。知性的文明は模倣されていく。私はここにブールの「ヨーロッパの終焉」意識を見る。
 ブールは1940年代、マレーシアでゴム園の栽培者としてフランスから渡り、第二次世界大戦で、仏領インドシナで日本軍と闘い、捕虜収容所に囚われ、脱走し闘った。その時の経験をもとに映画にもなった「戦場のかける橋」を書いた。西欧の科学技術を模倣した日本がその技術をもとに武器をつくり、英仏を破る。捕虜収容所の主人の日本人こそ「猿」の原型だったのではないかとも思う。いまアジア・アラブ、中国も核技術、ミサイル。ロケットの宇宙技術で西欧に追いつき追い抜こうとしている。地球人メルーが猿の惑星を脱出して、パリ・ドゴール空港近くに着陸すると、出迎えたのは猿だったという「落ち」は強烈である。(創元SF文庫、大久保輝臣訳)