日野龍夫『江戸人のユートピア』

日野龍夫『江戸人とユートピア

 江戸中期18世紀の学者荻生徂徠と門弟で漢詩人・服部南郭を中心に、閉塞した江戸社会でどういうユートピアを描いたかが語られていて面白い。日野氏は実証主義成立以前の近世の学問は、研究者の直接的自己表現という役割を果たしたという。学問と文学は密接であり、分化していなかったから、自己のユートピアが投影されやすくなる。徂徠は中国の「先王の道」、本居宣長は「古事記」の世界という古代にユートピアを見出した。
 この本で徂徠は最後には軍学に熱中し自己のユートピア実現のため「謀反人」になろうとしていたという仮説は面白い。由井正雪大塩平八郎になるという想像が膨らむ。日本政治思想史家・丸山真男とは違う徂徠像が浮かび上がってくる。大儒者として、柳沢吉保に抱えられ、さらに8代将軍徳川吉宗に意見を諮問された徂徠は、仁政という内面的・道徳的統治よりも、「制度」で人為的に外面的に統治することを重要視した。「政治学の独立」による天下泰平の統治をめざす。人間の内面に立ち入らず、人民の持って生まれた気質の多様性を伸ばす寛容な人間観(気質・職分不変化説)である。「聖人の世には、棄材なく、棄物なし」。商品経済の冷たい人間関係が江戸一極集中を産み、武士が領地を離れ「旅宿の境界」になり、流行など「セワシナキ風俗」を生んだという。親密で相互扶助の土着地域共同体による食糧自給の重農主義社会が徂徠のユートピアであり、武にたいする文民統制も主張しており、それが吉宗に避けられると、不満は「謀反心」を生み出していく。だが徂徠には制度万能論による愚民観も強くあることも指摘されている。 
 徂徠の弟子の南郭は、柳沢吉保没後の挫折で隠逸の詩人になり、道学主義から浪漫主義になり、自己の虚構化による内閉の「壺中の天」のかにユートピアを求めていく。それは「春情」の世界であった。南郭の世界は、自閉的なユートピアを示していて面白い。永井荷風のようだとも思う。(岩波現代文庫