重田園江『ミシェル・フコー』

重田園江『ミシェル・フーコー

 20世紀思想としてフーコーの重要性はますます強まっていると思う。フーコー解説書は多く出されているが、重田氏の本は『監獄の誕生』を20年近く読んできた成果があり
権力論、国家論を深く突き詰めていて読み応えがある。大震災や原発事故という危機と非常時から政治を考える幼稚さを批判し、国家主権に血と暴力よりも、日常性から非日常性に接近していく「生権力」を重田氏は、フーコーから読み解こうとする。フーコーは現代国家の権力を「規律権力」と「生権力」から分析していく思想家である。
 規律権力は「活動的に服従する」ための身体的規格化などちょっとした「工夫」からなる。重田氏はつまらない工夫が積み重なってテクニックとして精緻化されたという。フーコーのいう規律権力は服従を強制される主体を作り出すもので、「法」体系から相対的に独立している。フーコーはその原点を監獄制度に見たが、重田氏は愛知での学校生徒時代の規律に原点があるようだ。「生権力」とは、生きるという「生」が政治の第一の関心事になり、国民の生きて生活する過程に権力が介入していくことにより、多くのものを生み出させようとする。そのために、人口学、統計学都市政策学、公衆衛生学、臨床医学など人間の生存と国家の力を結び付ける知が構築されていく。フーコーは規律権力から生権力への流れを捉えようとしている。
 重田氏が、フーコー思想から丸山真男カール・シュミットマックス・ウェーバー、ヂュルケム、マキアヴェリを再考していく視点は面白く、もう少し詳しく政治思想史として読みたかった。さらに、「生権力」に対してどう立ち向かっていくのかを、フーコー以後の思想として聞きたかった。(ちくま新書