尾崎放哉句集

『尾崎放哉句集』

 「咳をしても一人」という自由律の俳句で有名な尾崎放哉は、大正期に挫折と放浪の後、小豆島のお寺の庵主で41歳の人生を終わった。放哉の句を読んでいると「単独者の句」という感を強くする。一高から東京帝大を出て大企業に就職し、植民地朝鮮、満州まで出世コースを歩んでいた放哉が、そこで挫折し会社をやめ、放浪し妻とも別れ、病気を抱え一人小豆島の小庵に住み死ぬ。「入庵雑記」に、八畳の南よりの細い柱に背をよせかけ、四角い小机を一つおいて、一日中朝から黙って座っているという描写がある。
 単独者の放哉は「一つ」の句が多い。「一日物いわず蝶の影さす」「高波打ちかえす砂浜に一人を投げ出す」「こんなよい月を一人で見て寝る」「一人分の米白々と洗いあげたる」「墓地からもどってきても一人」「一人の道が暮れて来た」など数多くある。海を愛し、母の慈愛を思い、観音経を読む。「何か求むる心海に放つ」
 蚊や蛙、猫などの句も多い。「昼も出て来てさす蚊よ一人者だ」。私が好きな句は「死ぬ事を忘れ月の舟漕いで居る」。大正は近代資本主義が繁栄し、植民地主義も深まり、学歴主義も進んだ時代に、反時代的な姿勢を挫折―放浪―隠遁で生きた放哉が、萩原井泉水の自由律俳句に師事したのはよくわかる。肺結核が悪化して死を待つ3年間の句が良い。(池内紀編、岩波文庫