古今亭志ん生『古典落語 志ん生集』

古今亭志ん生古典落語 志ん生集』

 落語は語り芸で口承芸能だから、寄席に行きライヴで聴くのが一番だ。死んだ名人の場合それも不可能だから、テープやレコードで聴くことになる。特に独特の語り口をもつ志ん生はそれが一番だ。本題に入る前の面白いクスグリ(ギャグ)はライヴでなければ真価がわからない。だがそれもダメなら、やはり文章化したものを読むことになる。演劇で舞台を観ずに脚本を読むようなものだが、声を出して読んでみるのも楽しい。短編小説、短編物語として読んでも面白い。
 この古典落語集には志ん生の代表の語りが収録されている。モーパッサンの短編小説を読んでいるように人間の生態が生き生きと語られている。「黄金餅」はブラックユーモアの傑作だ。吝嗇な金貸し坊主西念が死に間際、餅に金を包み込み飲み込んで死ぬ。其れを見ていた強欲な金兵衛が、死体を引き取り、墓場の火葬場で火葬し、金貨を取り出し、それを資本に目黒で餅屋を開業し成功する。「お直し」も男女の深淵にある嫉妬を、遊女上がりの女房に貧乏で体を売らせ、それを時間で何回も「お直し」として、値段を上げる夫の高まっていく嫉妬を見事に描く。志ん生はそれを陰惨にせずブラックユーモアで笑わせながら覘いていく。エロスユーモアは「疝気の虫」に描かれる。「三枚起請」「品川心中」にも、一歩間違えば陰惨な悲劇に陥るものを、反転して笑いの構造で救い出すのだ。
 「風呂敷」では、亭主が遅くかえるというので、若い男を家に入れているところに亭主が帰宅、押入れにかくした妻が、近所の親方の助けを借り、亭主に風呂敷を被せているうちに逃げ出せる。「締め込み」では、泥棒が空き巣に入る。そこに夫婦が帰宅、夫婦喧嘩が始まり、見るに見かねて出てきて仲裁し酒盛りになる。志ん生の「人情」とは「笑い」とイコールなのだ。(飯島直治編、ちくま文庫