藤原帰一『テロ以後』

藤原帰一編『テロ以後』


 米国の9・11テロから10年たった。この本が出たのは2002年でその時買って読んだ。それから10年、再読してみた。当時と大きく異なるのは、テロ容疑者オサマ・ビンラディンが殺害されたが、対テロ戦争としてのアフガニスタン戦争は続き、米兵死者は6000人とテロ犠牲者の2倍、アウガン、パキスタンの民間人死者は5万人を超えるともいう。米国の戦費は4兆ドル、米国経済は疲弊し、金融危機も伴い「世界帝国」が揺らぎだしている。私が10年前この本を読んだ時「チェノヴィリ原発事故はどこでも起こる」「テロはどこでも起こる」と言われていたが、いまや福島原発事故でそれも証明されてしまった。テロも根絶できていない。
10年前、この本では、坂本義和氏も西谷修氏もスタンリー・ホフマン氏もテロに対する報復としての国家によるアフガン空爆対テロ戦争を批判していたことだ。米国単独主義による国家テロとまで決め付けている論者もいた。また米国内で愛国心が高まり、国家安全保障のため、盗聴など市民的自由の制限が生じたことも指摘された。この10年間はテロとの戦争時代だったともいえる。セキュリティ(安全)主義が民主主義と平和の下の市民的自由をも犠牲にした。
中国の黄平氏は、テロをグローバル化の別の側面と見ていて、世界規模の人の流動化が、貧しき者、絶望した者に反抗の手段を与えたとし、杉田敦氏も国家という「境界線」の流動化から捉え、地球市民社会への生みの苦しみを説いていた。武力でなくいかに差異への寛容と南北格差解消を、人権の尊重を基に作り出していくかの瀬戸際に世界は置かれている。また最上茂樹氏や藤原帰一氏は軍隊の警察化でなく、国連を中心に有効で客観的警察行動の仕組みを、国際法に乗っ取って作るべきとしていた。こちらも10年たっても実現していない。パキスタンの怒りが高まりつつあり、核兵器が聖戦戦士の手に渡る核テロの恐ろしい予測を、チョムスキー氏は「朝日新聞」2011年10日付け朝刊に掲載している。
岩波新書