三上次男『陶磁の道』

三上次男『陶磁の道』
国立歴史民俗博物館編『東アジア中世海道』

 
中世世界史で魅力があるのは、東西文明の交流の視点である。これまではシルクロードという内陸アジアの交易路が注目されたが、その隆盛は7−8世紀までで、8−9世紀から15世紀では、海上交通路が中心であつた。「海」の重要性は中世日本史では網野善彦が指摘してきた。世界史では三上が海上交易路が古代から活発であり、中世では「絹」よりも「陶磁」が主役となり、中国から東南アジア、インド、中近東、アフリカまで運ばれた。三上はそれを「陶磁の道」と名づけている。それは現代の石油タンカーの「オイルロード」まで引き継がれている。
三上は12世紀に滅亡したエジプト・カイロ近郊の都市フスタート遺跡から中国陶磁器片が8−9世紀から15世紀まで大量に出土している驚きから、この本を書き出している。とくに元染付け陶器という高価の質の良品が含まれている。8世紀唐代から14,5世紀元、明の中国陶磁が、インド、セイロン以西、東アフリカで70ヵ所の遺跡から出土している。三上はフスタートからアラビア半島、トルコ、ペルシア、インド、アフガニスタンフィリピンの遺跡を辿り唐三彩、青磁白磁など次々と見出していく。面白いことに、エジプトでも、ペルシアでも中国陶磁のコピーが作られていくことだ。明の海軍提督・鄭和のアラビア大航海や、サラセン帝国時代、広州には10万人のイスラム教徒やユダヤ人が逗留していたのもうなずける。西欧の大航海時代に先駆けていた。
国立歴史民俗博物館編『東アジア中世海道』には、12−16世紀の海の道で中国から「唐物」−いまのブランド品や金、銅銭が輸入された実情を研究していて面白い。韓国沖で沈没した交易船から大量の中国陶磁が引き上げられている。また舶来品としての陶磁が鎌倉幕府の金沢で発掘された品や、戦国大名朝倉氏の居城一乗谷で発掘された青磁なども記述されている。いまや江戸時代でも「鎖国」はなかった学説が一般化してきたが、中世の交易は、今後大きな課題になるだろう。それは21世紀の中国・インド・東南アジア・中近東の連合を予測させる。(『陶磁の道』岩波新書、『東アジア中世海道』毎日新聞社