ドナルド・キーン『足利義政』

ドナルド・キーン足利義政


 米国の日本学者キーン氏が、足利時代の東山文化を高く評価し日本美の原点と考えるのには驚きである。当時の将軍義政の伝記だが、『明治天皇』を書いた後で出版された。応仁の乱という京都を焼き野原にした10年間続いた内乱の乱世の時代に、日本人の美意識が果たして形成されたのだろうか。キーン氏によると、足利義政は将軍としては無為無策で失敗者であり、私生活でも妻日野富子、一人息子義尚とうまく行かず不幸だったと描く。政治的挫折者・失敗者、史上最悪の将軍が、日本人に最高の美的遺産をのこしたとキーン氏はいう。
東山時代が現在日本人にも判る畳、床の間、水墨画、明かり障子、違い棚、茶道。華道などを作り出した。東洋学者・内藤湖南は、日本史では応仁の乱以降は、現代日本人でも生活実感できるといった。(『日本文化史研究』)だが室町・東山文化は、「美と宗教」が、生活・趣味への逃避(オタク化)していった文化ともいえる。山崎正和氏は、乱世が生んだ「趣味の構造」といい、サロン・もてなしの文化として、お茶、お花、を分析していた。(『室町記』)
 連歌も築庭も乱世から逃避して少数の社交仲間が内閉的に小空間に閉じこもり、趣味を洗練化していった結果できた。禅仏教の精進料理という生活様式が豆腐などを創り出したのである。「縮小の美学」の一局面である。
キーン氏は「暗示」=「幽玄」を重要視しているが、これこそ自閉の逃避文化の最たるものである。とすれば、社会からの逃避しで自ら内乱と飢饉を防げず、銀閣寺という小世界に美的世界を築いた無責任な義政は、現代に通ずるオタク文化の先駆者だったのかもしれない。
 最高統治者が、非政治的人間であり、脱公共性であっても、日本は「空虚な中心」のまま漂っていくことを、キーン氏の本は示している。天皇が和歌や生物学研究に集中しているあいだに、世界戦争に日本は突入した時代もあった。(中央公論新社、角地幸男訳)