小林秀雄、吉田秀和、海老沢敏『モ^−ツアルト』

小林秀雄『モオツァルト』
吉田秀和モーツァルト
海老沢敏『変貌するモーツァルト
 


シェイクスピア的宇宙」があるように「モーツァルト的宇宙」がある。だからモーツァルト論は数多くある。伝記も最近では映画「アマデウス」のように暗殺説が話題になって、無垢で純潔・晴朗な像よりも陰影に富んだ複雑な人物像が描かれてきた。日本のモーツァルト論では私はこの三冊が好きだ。昭和21年書かれた小林氏の影響が大きく、吉田氏は簡潔で強靭な音楽がしなやかな手つきで扱われていると書き、海老沢氏は敗戦時の中学3年生のとき読み、一生をモーツァルト研究に献身させた。だが吉田、海老沢両氏は、小林の論との差異をだしながら音楽専門家として精緻な論を組み立てている。
小林氏はモーツァルトの悲しさは疾走するし涙は追いつけない、空の青さや海の匂いのように、万葉の歌人の「かなし」に匹敵する悲しさで、こんなアレグロを書いた作曲家はいないし、だが彼の足取りは正確で健康であるという。彼は悲しんでいない、ただ孤独なだけだと書く。ロマン派の自意識過剰な音楽を嫌った小林氏は「一つの主題が、まさに破れんとする平衡の上に慄えている」と41番交響曲を分析している。
吉田氏はモーツァルトの二重性に着目し、突発的衝動から予想できない転換、その混沌から均衡への急速な転換、二重の対照による効果を論じている。バッハの崇高な無欠の和声的ポリフォニーに対し、モーツァルトは動いてやまず、七彩の色を放つポリフォニー・コンチェルタントを完成したという。
海老沢は39番交響曲の冒頭でアダージョが混沌の世界をあらわし、つづく主部アレグロはその混沌に対する光の勝利を描くが、41番では天空・宇宙の調和の世界に達すると指摘している。そうみるとオペラでも「フイガロの結婚」と「ドン・ジョバンニ」の対照が、「魔笛」で調和に達するのもうなずける。つねにダイナミックに流動する光と影が、動的平衡の世界に達するのだ。(小林秀雄『モオツァルト・無常ちいう事』新潮文庫吉田秀和『もーツァルト』講談社学術文庫、海老沢敏『変貌するモーツァルト岩波現代文庫