白洲正子『明恵上人』

白洲正子明恵上人』


 13世紀の高僧明恵上人の伝記であるが、白洲氏はその「たましい」に迫ろうとしている。だが観念的でなく、自分の足で歩き寺々を訪れ追体験しようとしている。故郷であり修行の場であった紀州遺跡や、開祖となった京都・高山寺の山林までもたびたび訪れ、美しい文章で明恵の自然没入の風景を書く。紀州・白上の峰の庵室からの海の眺めと島々の中で、その自然に文殊菩薩をみた明恵の描写や、島々から得た石の愛玩、煩悩をたつためかゴツホのように片耳を切りとった明恵の信仰への情念が共存して描かれている。
明恵と絵画は切っても切れない関係があり、白洲氏も有名な「明恵上人樹上座禅像」から書き出し、明恵の「遺訓」の「凡そ仏道修行には何の具足もいらぬなり。松風に睡をさまし、朗月を友として突め来たり突め去るより外の事なし」をひき、一切を放下し自然に没入する難しさを書いている。また8歳に戦乱で父母を亡くし出家した明恵が、高山寺に残る「仏眼仏母像」に見られるような、母を恋うる心情と釈迦を恋うる心情の重層性にも触れている。明恵が人間の「あるべきよう」という本性の自然を大切にし自己発見を説いた現実肯定の精神にも「自力」の宗教が現れており、法然の他力信仰と易行を排したのもうなずける。
白洲氏が重要視するのは、19歳から40年間日記のように、自分の見た夢を記した「夢の記」の存在である。なぜこのように夢を重視したのか。密教の観想や観法なのか。白洲氏は、明恵の夢は覚めている時の生活の延長で、信仰を深めるための原動力だと考える。「夢の記」は「空な肉体が、魂と結婚する時、どんなものを見、どんなことを感じるか、その偽りの無い告白」と白洲氏は書いている。フロイト精神分析以前に明恵ほど夢を見つめたひとはいないだろう。明恵は宗教者であるとともに、芸術家の精神を持つていたとも、この本を読み感じたのである。(講談社文芸文庫