田澤耕『ガウディ』

田澤耕『ガウディ伝』



 ガウディ伝というよりは、田澤氏がカタルーニャ語学、文化史の専門家だけあって、19世紀から20世紀にかけてのカタルーニャ時代史のなかでのガウディという見方が強い。だが不思議な事に、ガウディのサグラダファミリア教会などの建築美学に余り触れていないのに、ガウディの建築が浮かび上がってくる。中心都市バルセロナがどういう都市であり、カタルーニャ文化が地中海文明のなかで、独自の言語や文化を作り上げ、そこからガウディが生まれてきたことが良くわかる。
近代カタルーニャは、キューバ貿易で繁栄した。ガウディの建築施主でありパトロンであった商人は、奴隷貿易などで大儲けした「インディアノ」であった。いま残っているグエイ邸、グエイ別邸、グエイ公園、ミラー邸のパトロンは、みなキューバ貿易で巨財をなした。そのバブルはバルセロナ万国博の開催になり、モダニズムが隆盛となり、スペインからの独立自治やカタルーニヤ語復興運動につながっていく。建築ラッシュと民族文化の熱意、アナーキズムの台頭と爆弾テロがバルセロナを襲う激動期がなければ、ガウディの建築は生まれなかった。
ガウディは若者時代の反キリスト教から、断食をえて、絶対的カトリックに転向する。またカタルーニヤ語しか話さないカタルーニヤ主義にもなっていく。この背景にもバルセロナの当時の精神風土がある。だがこの「転向」を、田澤氏はサラッと書いていてもう少し詳しく知りたいと思った。その時期バロセロナの前衛芸術家たちの集まるカフェーでピカソと顔を合わした可能性があるが、なぜピカソは終生ガウディを批判したのかももっと知りたく感じた。ガウディはカタルーニャ保守主義であり、神秘的カトリックだと読めるが、それがガウディ建築にどう影響しているのかは、難しい問題だろう。(中公新書