川村湊編『現代沖縄文学選』

川村湊編『現代沖縄文学作品選』


沖縄文学は存在する。歴史も伝統も習俗も異なる島国での文学は、私には英文学にたいするアイルランド文学を思わせる。口承の伝統が強いアイルランドでは短編・中篇に傑作が多いが、沖縄文学もそうだ。川村氏編のこの作品選にも傑作が多い。日米の沖縄戦、軍政下沖縄の米統治、復帰後の巨大米軍基地の存在は、沖縄文学に大きな影を落としている。
ノロの口承性の風土は、ラテンアメリカ文学に似た「マジック・リアリズム」の手法を取らせる。この作品選では、崎山多美「見えないマチからションカネーが」のように既に死んでいる水商売の女性二人が琉球方言を交え語る物語に其れが現れている。また山入端信子「鬼火」も、愛人に殺された母子の珊瑚とウツボのいる海中での語りも凄い。
日米の新植民地的支配に対して、「支配―服従」の抑圧的心理を、動物に主題を持って描いたのが目取真俊「軍鶏」と又吉栄喜「カーニバル闘牛大会」である。沖縄文学では米軍兵士を加害者であり、被害者でもある人間として描くと川村氏はいう。この二作品はいずれも少年の目から見た大人たちを描き、闘牛と闘鶏という攻撃的闘いがテーマになっているのは、暴力(戦争も)と差別の構造をもつ沖縄だからか。又吉氏の作品は闘牛会場で牛の角で外車を傷つけられたアメリカ人と沖縄人の緊張の場面から、今の沖縄が浮かび上がる。目取真氏の作品も、闘鶏を扱い日米のいずれも出てこないが、力量のある鶏が、相手の蹴爪に仕込まれた刃物でずたずたにされる描写は迫力があり、沖縄を暗示しているようだ。
日米沖縄戦の記憶は潜在的に残存していて、重要な鍵になる。大城立佑「棒兵隊」大城貞俊「K共同墓地死亡者名簿」崎山麻夫「ダバオ巡礼」などは沖縄文学の基盤としてある。
講談社文芸文庫