高木仁三郎『プルトニウムの恐怖』

高木仁三郎プルトニウムの恐怖』


 1981年刊行だが、福島原発事故のあと増刷され、25刷になった。30年前の原発への警鐘を語ったものだが、いまや先見性のある「古典」といえよう。原子力発電をおこなえばウランの核分裂で、副産物としてプルトニウムという元素が生成する。この元素は自然には存在せず、半減期も2万年であり、地球上で自然循環しない。人間にとっては猛毒であり、核兵器の素材になる。だが高速増殖炉で増殖させると、燃えてエネルギーを生産する。高木氏は「夢をかなえる元素」とも「悪魔の元素」ともいい、プルトニウムから核文明を分析している。
この世でもっとも毒性の強い元素であり、人体へ内部被爆で、肺がんや白血病を発生させる。人類絶滅も可能な元素だといえよう。核文明は「プルトニウム社会」を作り出してしまった。プルトニウムが核廃棄物になるとき、自然環境の中に開かれた物質として存在できず、断ち切られた「閉鎖系」にしなければならない。高木氏は原子力発電など巨大核技術では人間の「誤りの無さ」が要求され、人間をシステムに忠誠な、全体から切り離された部分化させ、単一な機能に忠実な「ホモ・アトミクス」にするという。もうひとつ、危険な元素を扱うため、完璧な管理社会が要求され、情報秘密主義になり、市民監視を不可能にするという。未来への倫理性にも欠けていく。
今後ありうる科学技術社会に関しても、この30年前の本ですでに指摘されている。「水と土に根ざす文化」や「太陽エネルギー耕作型文化」などである。高木氏の考えは、原発核燃料サイクル全体を必要とする手間のかかるエネルギーで高稼働率を期待できず、廃棄物という難題をかかえる。その上、原子力は電力という形のエネルギーしか生み出せず、石油のような多面的でなく、代替にならないと見る。高木氏はロビンスの「ソフト・エネルギー・パス」に近い考えで「エネルギーを用いて行う多くの異なる仕事」を、効率的なやりかたで供給される最小のエネルギーでいかに満たすかにあり、適当な再生可能エネルギーを視野にいれたものである。30年前にここまで書いたのは驚きだ。(岩波新書