澤柳大五郎『ギリシア美術』

澤柳大五郎『ギリシアの美術』



 美学者・澤柳氏が1年間ギリシアで古代美術を観て書いた本で、風景論から始めて彫刻、建築、陶器画、墓碑、浮き彫りまで全般的に論じ、ギリシア美をミュケナイ文化からヘレニズムまで紹介したもので、よく流れが解る。澤柳氏は、美術家は神話の解釈者であり、創造者だと言い、教義上から制約する図像学や儀軌にるいするものは何も無く、神々や英雄の像を自らの美学で創造したと考える。芸術家は運動競技者とともに、個人の競争・技くらべ(アゴン)であった。からだとこころの一致による調和・均整の取れた秩序の美学による人間像は、古代ギリシアの発見である。
 前五世紀の古典期の石像、青銅像を澤柳氏は限りなく人間に似て人間を超えた神性、抽象的でも超絶的でもない真摯で高邁な姿の「厳格な様式」と述べている。「デルフォイの御者」「ゼウスス神殿西破風 アポロン」ミュロン作「アテナ」「クリティオスの少年」などの立像は、パルテノンの列柱とともに大地から、独立し立ち上がる気概がある。
 この本で面白かったのは、陶器画と墓碑の分析だった。古代ギリシアの絵画が消失したしまったいま、陶器の黒像式、赤像式の採画は、実用の器に人間模様を精緻に描いた絵は古代ギリシアだけだろう、それは墓碑にもいえる。墓碑浮き彫りの墓をこれだけ古代につくった民族はいない。それも死者と遺族の魂の共存を描き、先に死んだ息子と老父「イリッソス河畔の墓碑」、先に死んだ妻と夫などの浮き彫り(クテシレオスの妻テアナの墓碑)は、死の中に生を認め、日常の姿そのままに永遠を観ると澤柳氏はいう。
 前4世紀以後はパトス(情念、激情)などロマンチックな傾向が強まり、それは古代ギリシアの黄昏と同調している。均整のとれた運動競技者の像よりも、哲学者や悲劇作家の肖像が多くなる。平静で恒常な状態よりも、動的で肉体を寄りかからせたり、捻ったりする肉体像が増えるという指摘は面白い。その代表としてミケランジェロが感動した「ラオコン父子」像がある。私はこうした美学の転換は、再びルネッサンスからバロックで繰り返されると思った。(岩波新書