モーム『昔も今も』

サマセット・モーム『昔も今も』


 モーム晩年の16世紀イタリアを扱った歴史小説である。登場人物がマキアヴェリとチェザレ・ボルジア公だから面白い。この小説は政治的ゲーム小説であり、挫折・失敗をあっかつているが、私は喜劇だと思う。モームらしい物語の面白さを堪能させてくれる。戦国期マキアヴェリはフィイレンツェの外交特使として、イタリア統一を狙うボルジア公のもとに送られ、折衝を行うことが縦糸になっている。知力に優れ、戦術を駆使し、駆け引きを行う「政治的人間」同士の対話が、ゲーム的格闘として面白い。その裏では謀略、侵略、暗殺、など都市国家同士の残酷な暴力が行われている。政治の恐ろしさが外交交渉の喜劇的対話で明らかになっていく。
 横糸には交渉の滞在地で、美貌の商人妻にマキアヴェリが恋慕して、言い寄るゲーム的戦術が描かれていく。恋愛も駆け引きであり、戦術が綿密に練り上げられていく。マキアヴェリの恋愛戦術がいかにあっけなく敗れ去るか、美貌人妻が足元の人間に見事に取られていくかが、ボルジア公との外交交渉の失敗とともに、二重写しになつてる。マキアヴェリズムという手段的戦術論が、いかに挫折していくかが恋愛もからめ喜劇的に描かれている。 
 ヴェッキオ描くマキアヴェリ肖像画をみても、女性にもてそうに見えない。そこで戦術、手段が必要になる。傭兵に頼る商人国家フィイレンツェが、巨大な軍隊を編成しようとする野心家ボルジア公に勝てるはずがなく、戦術論は戦略がなければ敗れる。マキアヴェリは故郷に帰り、妻子とともに隠遁しながら、『君主論』と恋愛喜劇『マンドラーゴラ』を執筆する。ここにモームの楽観的あきらめ論が見られる。天野氏の翻訳も読みやすい。(ちくま文庫、天野隆司訳)