ボルヘス『永遠の歴史』『続審問』

J・Lボルヘス『永遠の歴史』
J・Lボルヘス『続審問』

 二冊ともボルヘスの哲学的エッセイである。読み応えがある。ボルヘスプラトンの原型「イデア」の信奉者なのだろうか。ボルヘスはイギリスのバークリーやヒュームのような「観念論者」なのだろうか。どうもそう単純でなさそうだ。一であり多であり、永遠であり瞬間であり、原型であり変奏である。変幻自在なのか。私はボルヘスを読むとどこも中心であり周辺がない閉ざされた球体を思い浮かべてしまう。その球体の中をぐるぐる循環している気分になる。
「新時間否認論」(『続審問』)を読む。ボルヘスはいう。時間を否定することは、①順列の項における連続性の否定と②二つの順列における項の同時性の否定を意味する。バークリーやヒューム、ショウペンハウワーを論じ、個々の心的状態の他に精神は存在せず、時間も個々の現在における一瞬の他に存在しないという。「我々の運命は非現実性のゆえに恐ろしいのではない。不可逆不変であるがゆえに恐ろしいのだ。」という。日常の均質・連続性の時間に対し、美的驚異を産む夢や幻想の目くるめく一瞬へのあこがれがボルヘスにはある。
『永遠の歴史』ではこう書く。「確かなことは、事物が順次継起するなどということは耐え難く惨めなことであり、宏量なる欲求は時間のありとある分秒と、あらゆる多様な空間とを貪欲に求める」訳者の土岐恒二氏はあとがきでこう書いている。「永遠というフィクションを世界よりも貧弱ものとして斥け、個人の時間の中に凝縮された永遠の反映、至福の無時間的経験こそ、人間的時間として記憶の中に甦らせ、言語によって造形している『永遠の歴史』の眞の主題と一体化する」私はボルヘスを球体にたとえたが、この本でも「循環説」や「円環的時間」のエッセイがある。ボルヘスは、時間の神秘主義者だと私は思った。
(『続審問』岩波文庫・中村健二訳、『永遠の歴史』ちくま学芸文庫・土岐恒二訳)