溝口睦子『アマテラスの誕生』

溝口睦子『アマテラスの誕生

日本古代が多様な文化の重層・複合であることは、いまや通説である。だが皇祖神アマテラスが女神であり、それを祭った伊勢神宮は古代から天皇の参拝は一度もなく、明治2年明治天皇伊勢神宮参拝が初だというのは、驚きである。溝口氏はその謎をこの本で記紀や考古学、歴史学で実証していくから読んでいて面白い。アマテラスは皇祖神・国家神であっても、俄かにその椅子に座ったため実態が伴わなかったと溝口氏は指摘する。
7世紀後半天武天皇の時に大転換が起こった。国家神の交替である。5世紀に日本が統一王権を樹立した時代、北東アジアは北方ユーラシア遊牧民が席巻し、そこから朝鮮半島を通じて「天孫降臨神話」が入ってきた。そのときアマテラスでなく「タカミムスヒ」が太陽神として、ヤマト王権の国家神だった。その名は朝鮮の始祖神名と酷似する。アマテラスは弥生時代における土着・多神教の神の一つで、地方豪族が作成者で、イザナキーイザナミーアマテラスースサノウーオオクニヌシ系列神話で「国譲り神話」で、タカミムスヒと結び付けていったという。
 溝口氏には「王権神話の二元構造」という著書もある。確かに古代日本は外来と土着、天の一神教多神教、中国とユーラシア、母系制と父系世襲制天皇家と豪族家連合、農耕系と海洋系などの二元構造がある。それが溝口氏によれば7世紀後半に神話と歴史の一元化、氏族制度改変の天皇家統一国家成立がおこなわれ、そのときタカミムスヒからアマテラスへの国家神の転換が行われたという。何故か。タカミムスヒが外来神で人気がなく、土着豪族を懐柔するためか、「一君万民」のためかわからないが、アマテラスが取って代わっていった。その上、伊勢神宮は太陽神を祭る地方神の社に過ぎなかった。壬申の乱を境に一挙にアマテラスは、皇祖神になる。このあたりの分析も面白い。だが伊勢神宮もアマテラス神話の聖典古事記」も、その後あまり重視されず、父系世襲制天皇に、女神の皇祖神という矛盾した体制は続き、江戸期に本居宣長が出て「古事記」が再評価されて、やっと、アマテラスも一般化されていく。(岩波新書