金大中『獄中書簡』

金大中『獄中書簡』


 獄中記・書簡の傑作だろう。獄中という限界状況で書かれた獄中記・書簡は其の人間の人格や識見が現れる。ワイルドの獄中記やガンジールクセンブルグの獄中からの手紙は傑作だが、金大中の獄中書簡は、東アジアが産んだ名作である。1980年独裁軍事政権に民主化運動で立ち向かっていた金は、国家転覆の罪で死刑を宣告された。全大統領と学生・市民ら民主化運動が激化する中、家族に向けて葉書に細字でぎっしり2年間29信書かれた手紙は、減刑されアメリカに出国するまで、死の脅威のなかで綴られた。
先ず金の妻や3人の息子の差別や迫害にたいする運命愛と、苦難を乗り越える励ましや、生きていく助言などが胸を打つ。「父の罪責感」や「父の悲しみ」「誇りに満ちたわが家庭」などは、金の家族愛が息子への人生の忠告とともに表される。だがこの書簡の中心はキリスト者としての金の信条吐露にある。「死の訪れとイエスの復活への確信」「世のすべてがイエスを否定しても」「神は存在するか」「イエスの眞の弟子ガンジー」など。だが金はカトリックプロテスタントの統一を考え、個人的救済と民族的救済を統合を信条としている。明治日本の内村鑑三を私は感じた。
獄中は僕の大学だと入獄するたびに語学を学習したのは、大正の大杉栄だが、金も獄中でニーチェ、トインビー、世界文学、宗教書など数多くの本を差し入れで読んでいる。28、29信では哲学者の政治観としてプラトンアリストテレスニーチェを論じている。また「わが民族の長所と短所」など朝鮮民族の歴史やその精神の考察が多く語られている。古代三国、新羅、高麗、朝鮮王朝、日韓併合など金の歴史観を知るのために重要な記述がある。3人の指導者、元暁、李栗谷、崔水雲の金の分析や、世祖と李承晩の害悪の指摘など示唆に富む。
4回の死を免れ2000年代に韓国大統領になった金は、哲人政治家という稀有な人間だったことが、獄中書簡からも窺える。(岩波書店・和田春樹、金学鉉、高崎宗司訳)