柄谷行人・中上健次全対話』

柄谷行人 中上健次全対話』


 1968年にまだ無名の批評家と小説家が新人文学賞落選で出会い、中上の1992年の死までその友情は続く。この本はその間4回の対談と韓国に行っていた中上と柄谷の往復の手紙が収録されている。本音をぶつけ合い、日本文学を批判し、批評家・小林秀雄を批判し、自らの仕事を語り合う。制度としての文学を撃ち、伝統的の物語も超克しようとする。20世紀末の日本、昭和の終焉までの戦後と切り結び、鎖国的内部に閉じこもろうとする文学・批評に、世界的異種との「交通」を称揚する二人の語り口は痛快である。
その痛快さは対談の諸所に見られる。小林秀雄夏目漱石に手を出さなかったのは漱石が世界との交通を知った唯物論者だったからだとか、村上春樹川端康成のようにトンネルの向こうに行って、鏡に映るイメージと戯れるハーレークインのエンターテインメントだとか、日本のポストモダン母権制的であり、ラカンフーコー父権制で権力を語るのと大きな違いで、それは天皇制や被差別部落を解けないとか、痛烈である。最近はこうした発言が少ないが、それが文学の衰退になっていると思う。
この二人には、制度としての文学や、鎖国的自閉の「交通」の無さへの批判がある。柄谷も中上も韓国論でハングル語とひらがなを比較し、前者が漢字と切れた人工的・抽象的言葉なのに、後者は漢字を自然と捕らえ、自然発生的に女性が作り内面に直接的であるかのような姿をとると手紙で書く。日本にある「根底」の幻想―政治的には万世一系の「天皇制」に象徴されるーを、東アジアの「根底の不在」つまり「交通」で乗り越える視点を出していることが興味深かった。(講談社文芸文庫