アレクサンダー『塔の思想』バルト『エッフェル塔』

マグダ・R・アレクサンダー『塔の思想』
ロラン・バルトエッフェル塔

 世界一の電波塔「東京スカイツリー」は、634㍍に2011年5月に到達した。「東京タワー」とともに首都に二つの塔が聳え立つ。なぜ塔を作るのかを建築史的な視点で論じたのが『塔の思想』である。この本はバベルの塔からヨーロッパの教会塔、ニューヨークの摩天楼、エッフェル塔まで論じ、塔は他の建築物から明確に区別される独立の目的と表現様式を持つという。鐘楼、時計台、灯台、祈りの時刻などの実用的機能よりも、アレクサンダーは、技術的・芸術的に実現された垂直上昇の理念の具体化、「高所衝動」という重力から超越する高山や宇宙空間への飛翔と同じ感性だと見る。なぜギリシャ・ローマ建築は塔を持たぬかの分析も面白い。人間の生の有機的法則を重視し、人間がすべての尺度で近くから見るため、垂直思考は円柱と柱列に留まり、超越よりも自己内部への沈潜になる。それがオリエントやエジプト、ヘレニズム、中世ヨーロッパと異なると指摘している。
アレクサンダーはエッフル塔を鋼鉄文明の象徴であるとともに、偉大なゴシックへの哀傷とどうしても芸術品でありたい郷愁が流れているという。面白いのはアメリカの摩天楼には真の高所衝動の衝動、あらゆる物質てき抵抗に打ち勝つ理想はなく、生活感情としても資本主義の業務センターの象徴だが、塔ではないと考える。それはアレクサンダーがハンガリー人で塔をヨーロッパ文明の鍵と見るからだろう。
バルト『エッフェル塔』は構造主義的手法でこの鉄の塔を分析している。塔を上昇と軽さ、透かしの象徴とし、鉄に捧げる聖なる碑として19世紀進歩主義により、ノートルダム大聖堂に置き換わったという。私が面白かったのは、人間同士相互の触れ合いの障害を取り除くコミュニケーションとして「橋」という捉え方だ。エッフェルは数々の鉄橋、陸橋、水門を設計し建造した。垂直な橋は重さを克服し20世紀の飛行機への道を暗示した。「大地と街を空に結ぶ、立つた橋である」とバルトは書く。
東京スカイツリー」は電波という空中を飛ぶコミュニケーションの象徴であり、21世紀の宇宙開発への象徴とも見える。植物にたとえれば、屋久島の縄文杉かもしれない。私はこれらの本を読みながら、三陸海岸に10㍍以上の津波に対する頑丈な巨柱による空中都市建設を21世紀の塔として夢見ていた。(『塔の思想』河出書房新社、池井望訳『エッフェル塔ちくま文庫宗左近・諸田和治訳)