シェイクスピア『十二夜』

シェイクスピア十二夜


 最初のオーシーノー公爵のセリフ「恋はまことに変幻自在、気まぐれのままにあっという間に千言万化する」と最後の道化の歌「わるさは笑ってすまされた、雨は毎日降るものさ」にこのドラマは尽きる。吉田健一氏は、悪ふざけと凝った趣向の恋愛の取り合わせた生活の達人の喜劇という。(『英国の文学』)ここには二元論の顚倒があり、対立物のまぜこぜがある。公爵は姫に恋慕し、姫は男装した小姓に恋し、その小姓は公爵に秘められた恋をしている。取り違えの恋。さらに悪ふざけで姫の執事は姫に懸想し。主従の顚倒が起こる。夢と狂気も人間の愚かさから生まれ、恋愛も階層も愚かさのあらわれにすぎない。
 たくらみの愚かさに乗せられやすい人間が喜劇を生み出す。人間の犯しやすい間違いが、寛容な笑いによって悲劇に転落しないという生活の知恵がこの戯曲にはある。いたずらや愚行、間違いに距離をもち、阿呆をも距離をもつて客体化する冷静な精神が、道化によって表されている。道化の精神がもっとも典雅なのだ。
利口と阿呆の顚倒が面白い。第一幕第五場での道化のセリフ「知恵の神様よ、どうかおれにりっぱな阿呆をやらせてくれ!おまえさんを自分のものだとうぬぼれている利口者が、実は阿呆だったなんて例はいくらもある。阿呆な利口者たるよりは利口な阿呆にたれ」友と敵の顚倒。第五幕大一場のセリフ「友だちはおれをほめあげてばかにするが、敵は正直にばかと言ってくれるんでね。つまり敵によっておのれを知り、友だちによっておのれを欺くってわけだ。」
吉田氏によれば英国人がシェイクスピアの引用を多くするのは、「ハムレット」と「十二夜」だといい、いかに英国人の好みにこのドラマがかなっているかを指摘している。(白水社小田島雄志訳)