渡辺保『江戸演劇史(下)

渡辺保『江戸演劇史(下)』


 下巻は18世紀半ばから文化文政の19世紀を経て幕末までの演劇史である。明和・天明の歌舞伎全盛時代は四代目団十郎と作者・桜田治助の時代で、治助の世界は奇抜な趣向とパロディ、多層な構造をもつと渡辺氏はいう。ドラマは世界の風景を描く記号になる。治助を支える俳諧狂歌、戯作、富本、常磐津、長唄、吾妻錦絵という江戸のネットワークがあった。それが天明の小田原大地震松平定信寛政の改革と不景気が芝居小屋を衰えさせる。
 19世紀になり文化文政時代は金融資本の演劇界の独占(大久保今助)と市場原理の競演とスター主義(中村歌右衛門)と爛熟していく。ここに50代の俳優松助鶴屋南北のコンビが登場してくる。生のリアリズムの「生世話狂言」と悪と美に支えられた「怪談」、あの世とこの世の相対化が松助・南北が金儲け市場主義に立ち向かう戦術だったと渡辺氏は言う。「四谷怪談」と「盟三五大切」は、忠臣蔵の不義士を扱い、ドロップアウトした人間が殺人者からなんの抵抗もなく正義の義士の規範になる恐ろしさを不破数右衛門で描く。南北は忠義とは体制を維持する方便とみていて、幕藩体制の根幹を批判している。
 天保時代になると歌舞伎の古典化がすすみ「歌舞伎十八番」を市川団十郎が作り上げていく。「勧進帳」は歌舞伎の能化である。だがそこには弁慶の変化がおこり、知的勇者のイメージが強くなる。幕末が透けて見える。もう一方では四代目歌右衛門の新しい身体の創造。渡辺氏は、それを機械的で人形的身体のしぐさと、本来矛盾するやわらかさと心の内面の表現を結びつけたと分析している。幕末の嘉永年間の小団次・河竹黙阿弥コンビが登場し①現代のアウトローの存在②七五調「しがねえ恋の情が仇」という韻文化、歌に近い③善と悪の相対化が起こる。渡辺氏がリアルなドラマ志向と音楽性(清元など)絵画性(豊国絵画の舞台化)という。(講談社