カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』

カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』

 この小説を読みながら私はハックスリー『すばらしい新世界』とE・ブロンテ『嵐が丘』を思い浮かべていた。ハックスリーは社会の安定のため試験管ベビーが作られ、各階級に機械的に適応できるように教育され、親子、夫婦関係もなく自由に欲望もかなえられ安楽に生きていく。人口も調節される。イシグロの時代は、遺伝子工学がより進歩し臓器移植のためのクローン人間が作られ、成人後に移植の使命達成をして短い命を終えていく。ハックスリーにはその「人間の道具化」の反抗者が現れるが、イシグロの小説は運命への諦念がありそれを叙情的に抑制された筆致で描くから、より残酷さと恐怖がにじみ出てくる。
 『嵐が丘』を連想したのは、少年少女の成長過程から生じる三角関係をベースにした恋愛の苦しみ、法悦、さらに残酷さを描いているからだ。この小説の語り手キャシーは『嵐が丘』のキャサリンであり、トニーはヒースクリフである。だがヒースクリフの激情はクローン人間トニーでは弱まっている。『わたしお離さないで』の舞台あるヘールシャムもコテージもセンターや病院も、ヒース繁る荒野なのである。
 この小説もイシグロらしくキャシーという主人公の一人称の語りである。臓器提供者でありながら、提供者の介護もする二重性をもつ複雑な立場だが、冷静な傍観者的語りが果たして真実なのか、偽りなのか定かでない。短命な臓器提供者の苦悩も抑制され突き放して書かれていて、運命の不可避性の諦念があるが本当にそうなのか語りに二重性があり、なにか読み終わって「迷路」に迷い込んだ思いに捕らわれる。それがイシグロの狙いかもしれない。(ハヤカワ文庫)