吉村昭『三陸海岸大津波』 酒井健『シュールリアリズム』

吉村昭三陸海岸津波

かつて大正時代史を調べた時に、吉村昭関東大震災』を読んでその綿密な資料調べに基づく記録文学に感心したものである。だが1970年に吉村が『三陸海岸津波』を書いていることを知らなかった。こんどの東日本大震災でこの本をはじめて読んだ。歴史が反復・輪廻していることに目眩を感じ、また同じことを、いやもっと凄い大災害が反復したことに私は科学的予知のみを重んじ、歴史から学ばなかったことを恥じた。この本は吉村の記録文学の金字塔であると共に、自然の悲劇にたいする住民たちへの哀悼が漲っている。
 吉村は三陸海岸が好きで何回も旅行していて、防潮堤の異様な印象から津波に関心を持ち調べ始めた。明治29年と昭和8年さらに昭和35年の大津波を資料に当たつたり、当時の被災者の証言などを集め、この本を書いている。明治29年の大津波は凄く死者約3万人も出している。全滅した町村も多かった。前兆から書き出していて、鰯の大漁、井戸水の異変、海岸沖での砲撃のような大音響、沖での発光現象が伝えられ、それは昭和8年の大津波の時も見られたという。津波に襲われた時の現状の報告には迫力がある。ちょっとの差の高台への避難の遅れが死を招いている。一家全滅で一人生き残る子供の話もある。涙が出る。昭和8年大津波には生き残った少中学生の作文が収録されており、子供の眼にどう映ったかが描かれており迫力がある。牧野アイさんの作文は7人の家族がみな津波にさらわれ死に一人ぼっちになるまでが綴られている。
 昭和35年のチリ津波地震が日本で起こらなかったため、気象庁津波警報を出さなかった。だが22時間後三陸海岸に到達し多くの死者を出す。過去340年に起こった9例が南米地震と関係していたと吉村は書く。津波の世界性、地球性がある。津波は今後も果てしなく反復するし、地形で三陸海岸は最大被害地になる。「屹立した断崖、連なる岩、点在する人家の集落、されらは、度重なる津波の激浪に堪えて毅然とした姿で海と対している。そしてさらに、私はその海岸で津波と戦いながら生きてきた人々を見るのだ。」と書いてこの本は終わっている。(文春文庫)