エミール・ゾラ『制作』

エミール・ゾラ『制作』 

ゾラ自身が述べたように、この小説は芸術家の作品創造の苦しみを描き、革新的な画家クロードが天賦の才を実現できず、最後は自らの作品の前で首を吊って死ぬ物語である。同時に19世紀末フランスの美術界のあり方や、サロンの審査・入選の真相や画商の絵画商売までゾラらしく掘り下げている。印象派の登場と既存の画壇との軋轢は、クロードのモデルがセザンヌやマネといわれているのに符合する。芸術家小説の傑作だろう。
 前半のクロードと妻となるクリスティーヌの恋愛と、同じ南仏から出てきて小説家をめざすサンドーズなど芸術仲間の青春の野望は明るい筆致で描かれている。だが後半になると何回もサロンの入選に落ち大衆から嘲笑され、貧乏生活のなか子供も死なせ絵画制作に命をすり減らすクロード、青春仲間の変質など暗い深刻な挫折の小説になる。自分の絵の創造に満足がいかず何回も描き破るクロードは追い詰められていく。
 私はこの小説を読み芸術家小説というよりも、反芸術小説、反ロマン主義小説ではないかと思った。最終章でクロードが製作中の絵で描いた女性に魅入られ、妻クリスティーヌと三角関係になり、幻想に没入して「虚構と現実」の境を逆転していくのを、なんとか現実に引きとめようとする妻との闘いのシーンは凄い。芸術家には虚構による疎外は何らかの形で根底にあるのではないのか。ゾラはこう書く。「彼は呆然として自分の作品に恐怖をさえおぼえ、非現実のかなたに自分がとびこんでしまっていたことに、おののきふるえた。現実を征服し、自らの手で現実的なものを再現しようと長年苦闘してきたあげく、現実そのものがとうてい自分には表現不可能であることを、いまや思い知らされたのであった」
 反ロマン主義自然主義作家のゾラらしい小説だが、私は科学で幻想を現実化しょうとし、幻想に疎外されていくシェリーの小説「フランケンシュタイン」を思い浮かべていた。
岩波文庫上、下巻、清水正和訳)