石橋克彦『大地動乱の時代』伊藤和明『地震と噴火の日本史』

伊藤和明『地震と噴火の日本史』
石橋克彦『大地動乱の時代』


東北関東大震災の恐ろしさと被災者の悲惨さを感じながら、また多数の死者を悼みながら地震の歴史の本を二冊読む。日本列島を何回も襲う巨大地震は、有史時代から「日本書紀」に記載されたている。だが日本人は何の策もうつていない。天災へのあきらめと宿命観を感じる。それと忘却したいという感性が自然追従の姿勢をとらせてきた。福島原発への安全観には、事実を直視したくないという心性と、短期的な視野の狭さが歴史忘却を強迫心性としてある。
 南海地震で大津波が起こっている。海溝地震は大津波を伴う。伊藤氏の本では海溝地震津波での大災害は、元禄時代(1703年)、幕末・安政地震(1854年)、明治三陸地震(1896年)と巨大地震が連続して起こり、多数の死者をだしているという。元禄の繁栄を終わらせたのはM8・2の大地震で波高5−10mと推定される大津波が襲い、九十九里浜や房総で死者多数出しいまも津波供養碑、無縁塚、千人塚が残されている。その数年あと連続して宝永地震、富士山大噴火と続く。
 安政東海大地震でM8・4、大津波紀伊半島から四国の海岸に襲来した。戦後に使われた小学校教科書「稲むらの火」では、高台にある自分の稲むらを燃やし村人を集め避難させたのが、この安政地震の実話からだと伊藤氏は書いている。この村長はその後津波から村を守るため大堤防を作る当時としては防災思想として頷けるが、やはり歴史教育により避難を第一に日常生活を律していくべきだったと思う。日本の教育は、100年、1000年の自然史の視野が弱い。。明治三陸地震津波は2万人以上の死者を出したが人口の半数を失った村もあり、伊藤氏は防潮堤のような津波防災施設が整備されていなかったことが被害を大きくしたと指摘している。また防潮堤ができてもその外側の海側まで住宅や店舗が立ち並んでいることに警告を発していた。
 石橋氏の本は、大正の関東大震災以後の平穏期に東京は過密都市になったが、ふたたび迫る大地動乱の時代に首都圏直下地震を想定し一極集中の大規模開発から地方分散を提案しているが、地震学者の警告だけに考えさせられる。日本史は権力史観だけでなく、環境史観をもっと盛り込み、理科教育と学際的カリキュイラムを必要としていると思う。(二冊とも岩波新書