寺田寅彦『柿の種』

寺田寅彦『柿の種』

自然科学者で俳人・随筆家でもある寺田の短文集である。今で言うツイッターのようなつぶやきである。寺田といえば天災は忘れた時にやってくるといったと聞く。「寺田寅彦随筆集」(岩波文庫第五巻)の「天災と国防」という昭和9年の文章で、文明が進めば進むほど電気、鉄道、建造物などが構築されるから自然の暴威による災害が激烈さを増すと指摘し、前の災害を忘れやすいから、軍備よりも「科学的国防の常備軍」を作り、日本の災害にあった工学を導入することを主張していた。愛国心や安全保障の考え方の合理的な方向を指し示している。
 この「柿の種」でも関東大震災の短文があり、震災後に酒匂川の仮橋を渡った時数限りもない流木が折り重なり骸骨のように樹皮がはがれた状況を「半ば泥に埋もれて、脱れ出ようともがいるようなのや、お互いにからみ合い、もつれ合って、最後の苦悶の姿をそのままとどめている」という象徴的文章がある。また震災の火事で焼かれた樹の幹に鉛丹色のかびが生じ繁殖する生命力を観察し、崩れ落ちた工場の廃墟に咲き出た名も知らぬ雑草の花を見たときに思わず涙がでたと書く。震災後の銀座を歩きバラックで商品を売っている情景が震災前と変わらないのに注目し銀座はただ商品と人の往来だけだと、震災前の開発路線を相変らず走ろうとすることに危惧を表明している。
 この本には量子論や原子論などの物理学とりも、日常生活の物理学の研究にいそしみながら漱石の弟子として俳句も作る寺田の在り方が短文に凝縮されている。(岩波文庫)