小田実『HIROSIMA』

小田実『HIROSHIMA』

広島、長崎原爆投下は相互の国家が核で戦う「核戦争」ではないという意見がある。とんでもない。その意見は日米共犯の戦後体制が作り出した虚構だ。日本が核兵器を持たなかったからといって、原因を作り出したのだから「核戦争」といえる。将来に起こるかもしれない「核テロ」も核兵器を人類が作り出した結果だから「核戦争」なのだ。人類が核兵器を使用してから、世界は被爆者と非被爆者に階層化され、終末を抱え込む。小田はこの小説第三部で幻想小説のおもむきで、ホワイトハウスでの日米首脳会談に核戦争想定の演習で被爆しガンの米人と、ウラン鉱山採掘で肺ガンのネイティブアメリカン、さらにその鉱山の下流の水をのんだ少年が夢で、「グランド・ゼロ」(世界初の原爆実験場)の死の灰をヘリで播く場面で終わる。タダの人が被爆者になり、被爆者は絶対的被害者なのだ。
この小説は世界初の原爆実験が行われたニューメキシコ州あたりの田舎町を舞台に白人、ネイティブアメリカン、日系二世の寓話的物語から始まり、広島での民衆の被爆、そして最後の幻想で終わる。ニューメキシコの荒野から日米戦争に出征した米人牧童は、爆撃機が広島上空で撃墜され捕虜になり被爆する。日系二世で故郷広島の中学に帰った少年も被爆、また韓国人、フィリッピン留学生も被爆という焦点によって、この小説は繋がってくる。被害・加害が核兵器では流動化している。
根底にはネイティブアメリカンの太陽の創造主による終末と再生の神話が下敷きになっているのが面白い。小田のグローバルな視野による核兵器時代の小説として、一読の価値がある。(講談社文芸文庫