千葉伸夫『原節子』

千葉伸夫『原節子


朝日新聞」beランキング(2011年2月12日)の「あなたが選ぶ昭和の名女優」では、原節子は17位に選ばれている。戦前派は高峰秀子杉村春子など数少ない。演技と美貌の二点が基準となっている。原を伝説の女優の伝記として描いたのが、千葉氏の本だ。類いまれな美貌で戦前・戦後の名作映画に数多く出演した原は、昭和37年42歳で謎の引退してから姿を消した。原がいま生きていたら90歳になっているだろう。
 原は昭和10年素人女優としてデビューする。西欧的モダンな美貌と清純可憐さが原をスターにした。この本は日独合作映画「新しい土」の主演としてナチスドイツへ行く国際女優への道から書き始められている。原はフランスやアメリカを半年かけて廻り、ハリウッドで残れば3年でスターになれると言われるが日本に帰る。義兄の監督熊谷久虎国粋主義者だ。戦中「上海陸戦隊」など戦意高揚映画に出演し敗戦。戦後は一転して「青い山脈」など民主主義高揚映画に出る。原は戦前・戦後の引き裂かれた歴史を体現している。
 千葉氏の本を読むと原が二面性に引き裂かれていた女優だが、精神力と自立力が強いと思う。二面性とは、近代的美貌と伝統的日本女性の心性、大根女優と演技派女優、永遠の処女と満たされぬ結婚願望、清純さと中年の危機などである。原は戦後黒澤明「わが青春に悔いなし」や小津安二郎東京物語」「晩春」などで演技派女優に脱皮していく。だがこの引き裂かれた二面性が謎の引退の真因なのではないのかと思う。千葉氏は最後にこう述べる。「映画女優としての原節子は稀有な美しさのため花としての存在価値が大きく、そのなかにあって、原の自己主張は覆い隠されてしまった傾向がある。昭和の歴史がそうさせたのかもしれない。だが、原節子を歴史のなかで思い返すとき、男性社会での女優と女性の位置について語り、演じ、さらに語らず、演じなかった自己主張の世界を忘れりべきではない」(平凡社)