木田元『反哲学史』

木田元『反哲学史
木田元『反哲学入門』

 木田氏によれば、哲学とは「あるとされるものがなんであり、どういうあり方をしているか」を追求する「ある」についての西洋文化圏の特殊な学問である。この2冊は存在論を通してみた西洋哲学史である。プラトン以来の哲学史は、自然存在を超えた「超自然的な存在」という特権的立場―それがイデア、純粋形相、神、理性、精神―を想定している。そのため自然は生きたものでなく、超自然原理から制作される無機的な材料・質料に過ぎなくなる。超自然的原理の設定と物質的自然観の成立は連動していると言うのが、木田氏の考えである。それに反し自然に包まれて生き、「つくる」でなく「なる」「うむ」という生成から考える「自然的思考」を「反哲学」と呼び、日本的思想の軸とも木田氏はいう。皮肉なことに日本でなく20世紀西洋でニーチエやハイデッカーにより、「反哲学」思想が起こり、木田氏はその視点で西洋哲学史を語っている。
プラトンアリストテレスから、デカルト、カント、ヘーゲル、そしてニーチエにいたる存在論の流れが、木田氏流の語り口で哲学講談のように強弱をつけて語られていく。哲学の難しい質の高い内容が木田氏によって語られるとよくわかり、小説のように読める。私が面白かったのは、やはり古典ギリシャ哲学である。ソクラテス以前の「自然的思考」の克服から、プラトンが「イデア」という超自然原理を生み出し、それを「超自然学」=「形而上学」として洗練したアリストテレスにより「自然」と「制作」という二元的考え方になっていく。中世はキリスト教の神がその哲学で解釈されていく。
デカルトは超自然的思考様式を近代的に更新し、カントの理性主義は理性を「超越的主観性」という分析になる。だがニーチエによる「反哲学の誕生」のくだりは木田氏の得意らしく読み出がある。生きた根源的自然と生の生成による「超自然原理」の乗り越えの記述は、迫力がある。新しい「価値」としての「力の意志」の哲学は、肉体の復権や芸術の力を重視することになる。20世紀ハイデッカー論もよくわかる。だが日本の京都学派(西田幾太郎や田辺元の哲学)をどう考えるかが触れられていず残念だった。(『反哲学史講談社学術文庫、『反哲学入門』新潮文庫