山田宏一『友よ映画よ』

山田宏一『友よ 映画よ』 

「わがヌーベルヴァーク誌」と副題にあるように、195年代末から1984年監督トリュフォーの死までのフランス映画の新しい波の在り方を描いている。山田氏はその中核の機関誌「カイエ・ディユ・シネマ」の渦中にいて、友人としてトリュフォーゴダールルルーシュアラン・レネ監督たちと付き合い、インダヴューも収録され、ヌーベルヴァークとはなんだったかの雰囲気をよく伝えている。トリュフォーの死に捧げられたオマージュとも読める。1968年5月革命のとき、カンヌ映画祭中止に追い込んだ映画人の集団運動にも立会い、そこでこの本は終わっている。
 『大人は判ってくれない』や『勝手にしゃがれ』『気狂いピエロ』、『男と女』いとこ同志』さらに『シェルブールの雨傘』などの名作が一挙に噴出したヌーベルヴァークは20世紀映画史に刻み付けられている。若い映画監督が低予算で、街頭の即興演出で独特なカットつなぎとアナーキーな雰囲気で、「私映画」的な反抗的作家主義で撮影した映画は、世界に衝撃を与えた。私がこの本で学んだのは、ヌーベルヴァークがルノワールロッセリーニの映画の影響が大きいことだ。人間の生き生きした存在や動きを捉えるため、観念的演出を避け、俳優の生なイメージから人物を作る。そのため、作品のテーマやストーリーに穴があくのも構わなかった。山田氏によるトリュフォー監督のインタヴューは面白い。映画は大衆のためのスペクタクルといいながら、「明日の映画は私小説や自伝小説よりもいっそう個人的なものになる」「愛の行為と同じような身近な肉体的なものになる」と発言している。『中国女』から次第に政治的になっていくゴダールとの決裂も描かれている。そういえばゴダールは2010年80歳を目前に映画『ゴダール・ソシアリズム』を撮り、西欧批判を繰り広げている。(話の特集社)