ブラウン『なぜ科学を語ってすれ違うのか』

J・R・ブラウン『なぜ科学を語ってすれ違うのか』

科学的知識は客観的で合理的・普遍的なのか。ポストモダン思想は自然科学の考えを相対化しようとする。科学が権威をもつ現代社会で、その客観・普遍・絶対に疑義を挟む思想対立に、カナダの科学哲学者・ブラウンが取り組んだ本である。翻訳は易しいが内容はなかなか難しい。読みがいがある本だ。ブラウンがポストモダン科学思想というのは、二点ある。一点は社会構成主義で、科学的知識は様々な社会的要因で作り上げられており、社会的利害価値と無関係な客観的知識はないという立場だ。たとえば、量子力学第一次世界大戦後ドイツの不安定期の社会要因から発想されたという考えなどだ。第二点は相対主義で知識は特定の集団や社会と密接に結びついていて、絶対普遍性はないし、時代で変化するという考えだ。パストゥールの細菌の自然発生観はフランス第二帝政の擁護の利害から生じたことになる。
 科学哲学者クーンのパラダイム論やファイヤアーベント理論の「検証の相対性」の批判は面白い。ブラウンの立場は、訳者・青木薫氏が言うように「科学的知識は、価値を背負いながら客観的でありえる」という点にある。ブラウンは反知性や相対主義は避け、あくまでも合理的根拠を科学の重要な認識条件と見る。様々な多元的で異なる価値から作られた対抗理論の検証によって科学は前進するとしている。科学と政治の関係についての記述も同感しながら読んだ。「科学にとって最大の脅威は、社会構成主義でも宗教的右派でも、一部環境保護保護主義者のこうした考えでもなく、知識の営利化だろう」という。大学、研究機関、病院の民営化とビジネスモデルが、研究の秘密化、公益の私物化、企業利益のための研究になり、大衆に将来害を及ぼすことになる。科学の民主化論も一読の価値がある。(みすず書房青木薫訳)