井上章一『法隆寺への精神史』

井上章一法隆寺への精神史』


法隆寺を巡る言説史である。法隆寺の柱のエンタシス(胴膨らみ)が古代ギリシャ伝来説なのかと、伽藍配置の非左右対称(アシンメトリー)が独創的日本的美学なのかを巡る明治時代から平成までの言説が紹介されていて、思想史を読んでいるようで興奮した。建築家、建築史家、歴史家、考古学者、文学者、美術家、思想家など法隆寺についての言説を井上氏は丁寧に辿っていく。
19世紀末から20世紀にかけ、フェノロサ岡倉天心アレクサンダー大王のインド侵入によりヘレニズム文明がガンダーラに伝えられ、それが中国、朝鮮から法隆寺に伝わったという説が、伊東忠太により建築学の定説になる。脱亜論の時代思潮とマッチする。聖徳太子の厩での生誕説もキリストのそれと結び付けられる。唐時代のキリスト景教との関連で。だが岡倉のインド滞在からヘレニズム東漸説は否定され、インド固有式(クプタ式)が伝来したとされ、さらに中国・大同石窟調査などで南北朝北魏からという学説も出され、ギリシャ伝来説は消えていく。だが、和辻哲郎『古寺巡礼』や、会津八一、亀井勝一郎堀辰雄など文学者にはギリシャ伝来説は根強く残ったと井上氏はいう。
法隆寺の塔と金堂が非対称の横並びの伽藍配置は四天王寺の左右対称とは違い、日本独自の美学から解釈されてきた。戦時中の30年代は、中国、朝鮮にない日本起源として国粋主義で称揚された。また戦後までモダニズム建築とも結びつき残った。法隆寺の言説がいかに時代状況によって学会を左右するかが井上氏の指摘で良くわかる。日本文化論は、実証や検証が難しく、グローバルな調査が必要だから、どうしても仮説が一人歩きをしてしまう。今後のインド、中国、朝鮮の学者との共同研究が待たれる。(弘文堂)