井上章一『つくられた桂離宮神話』

井上章一『つくられた桂離宮神話』


 「わたしには桂離宮の良さがよくわからない」という井上氏の日本文化史の視点による桂離宮論である。桂離宮の評価・解釈が時代状況によりいかに変化してきたかを辿り面白い。ここで「桂離宮神話」というのは、1930年代に来日したドイツの建築家ブルーノ・タウトが、日本モダニズムの建築家たちの支援で「機能美、簡素美」の合理的日本建築として称揚したたことを指す。反対に日光・東照宮は、絢爛たる俗悪、過剰な装飾と酷評される。モダニストがタウトをモダニズムの文脈にそぐわせる作為による称揚と井上氏は詳細な資料をもとに判断する。タウト自身が機能簡素美のモダニズムでなく、色彩的表現を好む表現主義であり、桂離宮の色彩や装飾も認めていたと言うから、そのずれが問題である。
 井上氏は明治からの桂離宮の評価を検証する。すると明治大正の建築界では桂離宮の評価は低く日本建築史の権威伊東忠太桃山時代の茶室より見劣りがするとしている。岡倉天心東照宮の絢爛な装飾を否定した。単純な白木造り、単純装飾が日本固有建築というイデオロギーがモダン建築の単純な機能美と結び付けられ、そのねじれは戦中の日本浪漫派に行き着く。戦後、丹下健三桂離宮について「構造的合理性」を無視した視覚的美だとみ、その後モダンでなく装飾主義のマニエリズム建築様式だという学者もいた。ポストモダンになると磯崎新のように「多様性や矛盾したものの相互依存」として桂棚、藍染め張りの壁、金の六葉や色彩が再評価されるという
面白いのは名所案内、京都観光での桂離宮の変遷についての井上氏の分析である。明治以後岩倉具視の働きで宮内庁の所管になったことがどのような影響を及ぼしたかの叙述は読ませる。(弘文堂)